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見えないものを見えるようにする

boa tarde!
PASSARINHO.SOCCER.ACADEMYヘッドコーチのアリオンです!
いつも記事をお読みいただきありがとうございます😊

はじめに

今回は「見えないものを見えるようにする。」という一見変なタイトルで話を進めていきたいと思います!

ですが、美術や音楽のように形のないものが形になって私たちに新しい気づきを与えてくれるものは多く存在しています。

その一つに育成があると考えています。

育成は「絵」や「本」と一緒で価値がつきます。

お金がつくのです。

育成は目に見えないものなので、支払った対価を正当に受け取れているのか分かりづらい商品になります。

なので歪みやすいのです。

育成とはなにかを定義づけることで選手たちが買う商品がわかります。そしてそれを見えるようにしていくのが指導者の仕事です。
見えないものを形にするアーティストと同じです。

育成はできること少しでも増やしていくとでもあります。
そのために新しい価値観や視点をどんどん与えていくべきです。
しかし言語による思考をする人間にとって、指導者からのことばによって結果が変わるという点はかなり恐ろしいところでもあります。

本日はそんな視点で、「ことばに操られぬよう、ことばを使いこなす」ということも交えてお話しできればと思います!


passarinhoではトップとアカデミーで同じ戦術を共有し、常に高い要求をし合える環境を作っています。

定義

見えないものを誰かに見せるときに必須になる条件が、定義になります。

定義付けをすることによってその事象以外を排除することができます。

あの人はこう考えるが、我々は○○を目指しているため○○と定義する。

といった具合にその先に何を起こしたいかによってものの定義を明確化することができる。

例えば、人間形成としての育成とプロ輩出に特化した育成とでは育成の定義が異なるため、実行する手段が変わってくる。ということです。

人間形成としての育成ってなんやねんって僕は思ってしまいますが、、それは置いておきましょう。笑

つまるところ、達成したい目的に対して最適な定義をすることによって手段がわかってくるよね。ということになります。

見えないものを見えるようにする上で、今から進んでいく場所と進むための手段を提示してあげることが非常に重要になってきます。


呪縛

続いて呪縛というテーマで話を掘り下げています。

人間は分類したり、定義したり、区別したりするのが非常に好きな動物です。

分類された者はいかにもそれが自分のアイデンティティかのように立ち振る舞ってしまうという危険な側面も存在します。

先程の定義付けは、上手く使えばかなりの効果を発揮してくれますが、間違った捉え方をすると、変化や成長を阻害する要因にもなってきます。

これがことばに操られるということです。

例えば、「おまえにドリブルの才能はない」と指導者に言われたとします。

これも一種の定義なので効果を発揮する場合としない場合があります。

その決定的な違いは何かというと、どこを見据えて定義しているか。これだけの違いです。

育成年代でやりがちなのが、「現状」を定義することによって成長を限定してしまうことです。

この選手がプロになって活躍している「未来」をブランディングし【定義し】そのポジション、要求する内容を決めているのであれば素晴らしいです。
しかし、「いろんなところをやらせた方がいい。」「ボール蹴れるからCB(センターバック)。」「足速いから前の選手。」といった具合に、現状でその選手の取る行動を限定してしまうと、その選手の才能を打ち消してしまう可能性があるのです。

子どもは素直なので、勝手に自分にラベルを貼り付けて、いかにもそれが自分かのように立ち振る舞ってしまいます。

これが導き手によって結果が変わるという危険な点です。

そしてこのレッテルこそが、ことばによる呪縛そのものなのです。

結果を出すべき未来を定義することによって、今の行動が絞られていく。その過程の中で、見えないものを見えるようにしていくこと。これが求められるプロセスです。

現状を定義することでその選手はその呪縛から抜けられなくなります。人付き合いを思い出せばしっくりくる方もいるかもしれませんね。

定義を上手く使いこなすことが、呪縛から逃れる唯一の方法です。
そして見えないものを見えるようにする際に最も気をつけなければならない点がここでした。


フラット

新しい定義を得たときに陥りやすい点がそれが全てだと思い込んでしまう点です。

「ロングキックを練習する過程で遠くを見れるようになった!」

これは今まで見えなかったものが見えるようになったということですよね。

しかしこれに依存をすると今まで見えていたもの見えなくなったりすることがあります。

これは遠くを見ることによって視野が広くなったのではなく、遠くのものに視野が狭窄している状態になります。

その結果自分ができる手段がロングキックに限定される。なんてこともあるのです。

止めて蹴る運ぶ。それらを手段としてフラットに選択すること。

これが使いこなす。ということですよね。

ことばも同じです。決して操られてはいけないのです。

見えないものが見えるようになっても、それらをフラットに扱うことが身につけるということになります!


おわりに

世の中には多くのロジックが存在しています。

そのロジックに動かされるのではなく、いいものを抽出して利用していくことが求められるのです。

大事なのはやり方じゃない。やり方は後から決まってくる。そういった見方も大切かと考えています。

見えないものを見えるようにする作業も、見えなかったものが見えるようになったとしても、決して思考を止めず、定義を上手く使いこなすことが求められる。今の日本の教育現場にかなり必要なことではないのかと思っております。

生意気ながら僕の意見を書かせていただきました。

お読みいただきありがとうございます!😊

ではまた! até a próxima!

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