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タイ 第2回 ゴミ捨て場とスラム街の現実

9/1は、コンケン市にある、ゴミ捨て場とスラム街を見学に行きました。NGOで活動している現地の方とお会いし、お話を伺う事が出来ました。

昔タイにチャチャイ首相という人がいて、農村改革を中心に行なっていましたが、まだ周辺国と対立をしていたのでチャチャイ首相は、対立するのではなく、経済的な関係をもって、国の安定を図りました。

工業を発展させ、そこに重点を置いた為、日本、シンガポールなどの企業が、農民の農地をいっぱい買っていきました。コンケン市はその結果、道路、病院、小さいクリニックなどを建設し、村人を町の中に工場や労働者として連れてきました。

農民は町の労働者として働き、線路の周辺に住むようになっていきました。
9年前、16の集落が出来ました。NGOの人達が、貧しい人達をどうするか話し合いを始め、一緒にスラムの人達と住み始めました。

基本的な生活を守るものもなく、衛生についても、経済的にも大変な問題でした。

お金も無いので、1日仕事したら、1日の食料。次の日食べるにはまた明日働かないと食べれません。もし休んでしまったら、お金を借りなくては生活出来ない。利子がなんと6日間で20%。今日借りたら、明日には必ず返さなくてはならない。

返せないので返すのにまた人から借りていく為、借金が増えていきます。9年程前までこういう感じでしたが、このままではどうしようもないので、共同貯蓄をするグループを立ち上げました。バンコクの財団も支援してくれる事になりました。

もし銀行で借りた場合の利子は1年間で15%となっています。貯蓄グループが成功した事で、色んな人のやる気が出たり、意識も変わっていきました。そして政府にまで話が出来るようになりました。

ある日、国鉄の人達がスラム街にやって来て、ここの土地は国のものだから出て行って欲しいと。国鉄は赤字で企業に貸せばお金が入ると考えていました。でもスラムの人達は主張しました。自分達はずっと前からここに住み、この土地をキレイにしてきた。私たちに貸すべきだと。

そして4年間の話し合いの末に、やっと自分達に貸してくれる事になりました。

次に訪れましたのが、ゴミ捨て場です。コンケン市には、約30万人が今住んでいます。ここのゴミ捨て場には、コンケン市とその周辺のゴミが毎日集められてきています。1日→20万㎏
ゴミ捨て場に住んでいる人は、今現在、49世帯で420人程います。

まずビックリした事は、ここの場所へ一度も市役所の人が訪れた事がないという事実です。1年程前、アメリカの人達が市長をゴミ捨て場へと誘いました。すると副市長さんがここへ訪れるようになり、病院の方も2~3か月に1度訪問してくれるようになりました。

そしてここの人達は、自らの想いで打算的な考えはなく、心から働いていると聞き、感動しました。一つ一つビン、カン、リサイクル出来る物を仕分けていきます。その人たちがやらなかったら、一体誰がやるのでしょう。

この場所も最初は穴を掘って、地下に埋めていましたが、それももう山積みになって、あと3年でいっぱいになります。他の候補地も、嫌がられているので、軍の敷地になるか今政府は悩んでいます。

台湾の人達が来て、支援してくれるようになりました。自分達も貧しかったけれど、今はお金を持っているので、支援したいとの事でした。昔の一日の収入は、100バーツ~150バーツだったのが、今は一日80バーツ~100バーツへ減ってしまいました。それはゴミ捨て場に来る前に、回収する人がいる為です。

ここの人達は、豚も飼っていてそれも収入源となっています。ゴミから出る残飯を集めて米ぬかと一緒に煮ます。それを餌にしています。一匹3000バーツになるので、子供の教育費、結婚式、新しい家の費用に充てる事が出来ます。

昔はお米を作っていましたが、ゴミの汚水が流れてくる為に、成長するお米が作れませんので、今はさとうきびに変えました。汚水を見ましたが真っ黒でした。1月~4月は更にハエが増え、蚊帳の中でご飯を食べます。雨が降った日はものすごく臭いそうです。

衛生局の人が毎月来て、土壌・地下水の調査をします。その人たちは”まあまあ使えますよ”と言ってはくれますが、まだ一度も検査結果を見せてはくれません。その人たちに”ではこのお水を飲んでください”と言って、一度も飲んだ事はありません。

デンマークの人達も支援してくれました。焼却炉など作りましたが、すぐ壊れてしまい、直してもらったのですが、またすぐに壊れてしまいました。結局そのままになっていて、隣の野原に病院から出たゴミを捨てていきます。

雨が降ると薬剤などが染みて出てきます。プラスチックのゴミが多すぎて、堆肥になりません。そしてせっかく作った焼却炉も全部壊れてしまい、支援も終了してしまいました。デンマークの人達が、市役所へも支援していましたが、そのお金が生かされる事がありませんでした。

ゴミ捨て場で働いている人達は子供を学校に行かせています。親が外国人の人達を見て、自分の子供もいっぱい勉強させてあげたいという気持ちからです。ですが子供たちは大きくなって勉強すると、ここに戻ってくる事はないそうです。

ここへ訪問する前、私は可哀想な人達という感じを持ったりもしましたが、そういう風に思うことはとても失礼な事だと強く感じました。同じ人間であり、たまたま私は日本という国に生まれました。ただそれだけの事、何ら変わりません。

堂々と生きられていました。暑い中、山積みされたゴミの中で、豚の餌を一緒に拾いました。長靴を履いていましたが、蟻が長靴を通して体中に登ってきます。汗がダラダラと滝の様に落ちてきました。とにかく暑いし、蟻は気になるし、靴はもう埋もれて、ものすごく臭いし、これをここの人達は毎日毎日、雨の日だってやるのです。

私にはハッキリ言って出来ないし、やりたくないと思いました。ここの人達はそんな泣き言言ってられないですし、これしかないのですから、私なんかよりもはるかに精神力がすごいと感じました。でもこの状態が決して良い訳ではありません。もうあれから19年経ちましたが、今どの様になっているのでしょうか。

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