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自己紹介

 日本が水曜日のおよそ始業の鐘と共に仕事を始めた時、夜通し母を苦しめた私は朝5時ごろこの世に生を受けた。

 生まれてから3年スリランカで育ち、野生児という言葉がやや当てはまってきた頃、私は文明が発展している国パキスタンへ入国。あまり記憶はないがそれなりに勉強を教えてもらい、そつなくこなした気がする。そうそう、私には一つ上の兄がいたのだ。パキスタンにきて初めて知ったのだと思う。パキスタンに来てから2年が立とうとしたころ、私に弟が生まれたのだ。

 私は持病を抱えていた。生まれた頃からの持病は手術に手術を重ね、もはやパキスタンではどうすることもできなくなっていた。よくもまぁ、人の体を好き勝手にいじってくれたもんだ。手術で開けたら綺麗に元に戻してくれれば良いものを自分好みのテイストに配置を変えやがった。とんだ医者がいたもんだ。そんな私を見かねた叔父が「私に日本に行って治してみないか」と言ってきた。

叔父は日本人の女性と結婚していて、子供がいなかった。一方、我が家では子供が3体もいた。私は手術をするため、7歳になろうとする1ヶ月前に日本へ飛び立った。
 文明がさらに発展している国に来たのだ。全てが新鮮だった。今でも覚えている。空は灰色だった。夜なのに灰色ってどういうことだろう。家の近くのサミットへ行った。車で行ったのだ。目の前に大きな壁があって、そこに一台ごと車は入って行った。鉄のドアが上から降りてきて、車は閉じ込められた。数分後、鉄のドアが開くと、そこにはもう車はいない。魔法かと思った。なにぶん、エレベータやエスカレーターでさえ日本に来る時(ほんの数10時間前)に初めて認識したのだ。車用のエレベーターが存在するなんてとても思わない。これが初めて日本に来た時の私の印象に残った出来事。そこからパジャマやら何やらいろんなものを購入し、私は日本で生活をすることとなる。

さて、語り始めたら、止まらなくなるので、今回はこれくらいにして以下に私がどんな生活をしてきたか記ししておこうと思う。

経 歴

7歳-12歳     日本の小学校に在籍
         途中で2回ほど手術を受け、持病を完治
13歳-14歳   日本の中学校に在籍(ここら辺で帰化した)
14歳-15歳   素行が悪くパキスタンの親元へ返品
15歳の夏     再度、来日
中学3年の冬  絶対に無理と言われていた公立高校に受験して失敗
高校1年     私立の高校へ入学
          3年間、高校生活を謳歌した
高校3年の秋  防衛大学校を受験して合格
18歳の春     防衛大学校で地獄の一年生の生活が始まる。
       (内容が濃いからいつか記事にしようと思う。)
22歳の春     防衛大学校を卒業して陸上自衛隊幹部候補生学校へ
23歳の春    茨城にある陸上自衛隊の施設学校で教育を受ける
24歳-26歳     関東のとある部隊で2年ほど勤務
2021年12月   数年勤務した自衛隊を退職
2022年1月    ドイツに留学してデータサイエンティストになると決める
         貯金でなんとか生きていこうと思ったが、バイトを経験
         とある会社でPCRのバイトをしているときに事務の仕事を
         してみないかと話を受ける
2022年4月     アルバイトとして事務作業を手伝う
2022年9月     ドイツの大学院の受験を失敗(とりあえず、旅行で行った)
2023年1月      契約を個人事業主にしていろんなことを試す
2023年6月     ドイツの大学院から合格をもらう
       (お金がなかったためもう一年延期して学費を稼ぎ続ける)
2024年1月     ブログとかインスタを始める。
          せっかくの貴重な経験とみんなにも共有したい&
          なんかお金にならないかなぁ

そして、今に至る。もっともっと更新できるように頑張ろうと思う。
内容は僕の人生経験や自衛隊で学んだこと、そしてドイツの留学準備や留学先でのことについて!

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