【休職教員】これまでの経歴①

3年前の自分が、今の自分を見たら言うと思う。
「えっ、なぜ休んでしまってるの? 給料もらってるんだから、そこは頑張らないといけないんじゃないの。」と。

これまでの教師生活が順風満帆というわけではなかったけれど、
「あぁ、自分はうまくいってるな」と思っていた。

●1校目


 初任の4年間で、低・中・高の全ての学年を持たせてもらった。
 大学卒、ストレートで教員採用試験を突破したので、正直鼻高々になっていた。しかし、授業は面白くできず、厳しく叱ることもできず、子どもたちの気持ちを受け止めることもできなかった。結果、2,3年目は10月頃には学級がしんどくなってしまった。よく中学受験をする地域で子どもが賢かったので、学級が崩壊するというよりは、静かに崩れて反応がなくなるといった感じだった。
 4年目に組んだ学年主任が男性の超ベテラン・非常に怖い方で、何度も叱られ、怒鳴られた。授業のダメ出しをされて「今日のお前の授業は100点満点の10点だ。欠点が10個あって…」と言われたこともあるし、体育の時に安全の確保ができてなくって、子どもの前で怒鳴られたこともある。ただ言われたことはその通り!ということばかりだったので、自分の実力不足を感じて打ちひしがれた。その状況でクラスの雰囲気も悪くしてしまったので、いつ辞めようか、休もうかと考えながら、なんとか耐えた1年だった。

●2校目


 2校目では、5年間学級担任をした。
 1校目で全然うまくいかなかったことを、自分が嫌われたくなくて叱れなかったことだったと猛省し、「子どもから嫌われてもいいからダメなことはしっかりダメと言おう。それが子どものためになるはずだから。これで無理なら仕事を辞めよう。」と思って働いたことが良かったのかもしれない。
 生徒指導はまぁまぁ多い学校だったけれど、力のある素敵な同僚が集まっていたし、子どもたちも根が素直でかわいらしい子が多かったこともあり、3学期末に来年も持ち上がりたいなと思えるくらい自分にとって楽しさを感じる日々だった。
 数々の失敗もしたけれど(宿題やっていなかった子に事情を聞かぬまま厳しめの指導をしてしまって保護者から2時間電話で苦言を頂いたり、絶対配らないといけない手紙を配り忘れて全件ポスティングしたり…)、研究授業を何度かしたり、最後の方は学年主任を任せてもらったりとうまく仕事ができていたように思う。
 5年間働いた所で、そろそろ違う学校で働いてみたい、授業をしっかり学んで子どもたちを育てられる教員になりたいと思い、異動を希望した。

異動先は、予想していなかった委員会事務局だった。



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