「死んじゃダメ」は肯定にならない

先日、元彼の友人でありアタシの元友人でもある人からアタシのTwitterアカウントにDMが来た
元彼と別れたあと縁は切れて連絡先も持っていなかったけれど、アタシのTwitterアカウントをたまたま見つけたらしくそこからDMがきた
内容は
おまえと〇〇(元彼の名前)が別れたあと、〇〇が閉鎖病棟行ったのは言ったよな?
あの後閉鎖病棟退院後すぐにあいつ自殺してこの間一回忌が終わったところだよ。

だった

正直パニックで未だに信じられていない節があるけれど、彼が死んだのはアタシのせいってことだろうか
なんのために友人はアタシに連絡してきたんだろう
彼と友人は同じマンションに住んでいて幼稚園の頃からの幼なじみと聞いていた
いつも何するにも2人だった とも。
アタシは友人から彼を奪ってしまったということなのだろうか
アタシがあの日、彼に別れ話をしなければ彼は死ななかったのだろうか
死なないで。とアタシが懇願したら彼は死ななかったのだろうか

アタシと彼が出会ったのはなんと、最悪なことにグリ下だった
中学2年の春、当時仲の良かったネッ友とそのお兄ちゃんと一緒にグリ下に行った時に出会った
一瞬で仲良くなってその後3回くらい通ったあと2人ともグリ下には行かなくなった
友達として2人であそんでお互いの悩みとか話を聞きあってただの友達として過ごしていた
そして中学3年生になる頃彼と付き合い始めた
だから付き合ってた期間はほんの半年弱なんだけれど、友達としての期間が1年程あったからお互いに付き合う前から依存していたのだと思う
お互い変にプライドが高くて友達の頃から喧嘩が絶えなかった
いつもしょーもないことで喧嘩してその度に別れ話をした。でも共依存だったから別れられなかった

実際、共依存を言い訳にしているだけで本当は離れたくないと心のどこかでは思っていたのかもしれない
いや、もしかしてこれが共依存の怖さなのか。
依存と好きをイコールにするのは難しい
好きだから依存するのか、依存をしているから好きだと錯覚してしまうのか。
アタシの場合はおそらく後者の方だった
当時は彼しか居ないと思っていたし彼がアタシのことを全て理解してくれる理解者だとも思っていた
今考えれば、自分の全てを理解出来る人間なんて自分含めこの世界には誰もいないって分かるけど当時は盲目的になっていたからそんなことすらわからなかった
別れ話をした時の事は過去のnoteに書いているからあまり詳しくは書くつもりないけど、あの日はアタシにとって人生を変えるレベルの1日だったと思う
その日以降アタシは刃が大きいタイプのカッターを見るとフラバして過呼吸を起こすようになったし、1日に1回は必ず思い出しては気分が悪くなる
忘れてはいけないようなことな気がして、忘れられるはずもなくてずっとずっと記憶の片隅に解除できない爆弾が置かれている

死にたいと言っている人に対して、死なないで。なんて言えないし
だからといって、一緒に生きよう。なんて言えるくらい自分は強くもなければ覚悟もなくて
死ねも死なないでも生きても全てエゴなような気がして

責任から逃れるために、アタシは彼が死にたいとずっと思い続けていた事を知っているからようやく死ねたんだね。と思って生きていくことにした
彼がくれた箱の開いていない金パブと一緒に

まあアタシももしかしたらそのうち死ぬかもだけど
とりあえず今だけは、ね。

( 「死にたい」とか絶対言えない / トップシークレットマン )

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