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いいママってどこにいるんだろう ー『ママはきみを殺したかもしれない』感想ー


樋口美沙緒『ママはきみを殺したかもしれない』読了。知らない方向けに簡単に紹介すると、樋口先生は商業BLで名作を数々生み出している有名な先生。わたしも遅ればせながらムシシリーズに昨年どハマりして既刊を一気に読みました。その樋口先生の初となる一般書が本作となる。

あらすじは以下の通り。

殺したはずの息子が、目の前に──。
今度こそ、私は“いいママ”になる。
仕事もプライドも捨て、狂おしいほどの愛情を注いだ先にあるものは何か。
無償の愛とは?母性とは?息もつかせぬ衝撃作。
母親失格と気づいたとき“ママ”をやり直せるなら、
あなたは、何を犠牲にしますか?
目標としていた賞を受賞し、脚本家として活躍中の美汐。
だが、彼女の心は晴れない。小学校から呼び出され、
息子・悠を「支援クラス」に通わせることになったからだ。
ある日、美汐は手に負えない悠の首を絞めかけ、そのまま気絶する。
意識が戻ると、悠を保育園に預ける初日の朝だった。
神様がやり直しをさせてくれる! 美汐は、理想のママになろうと奮闘するが──。

幻冬舎書籍詳細より


『いいママ』になりたがる美汐を見ていても、その言動に目新しさは感じなかった。つまり、わたしも彼女の思考を容易になぞれてしまったということだ。

子どもの平均からずれた発達に焦りを覚えること。まるで人が変わったように瞬時に子どもに怒り狂ってしまうこと。そしてまた瞬時にその怒りに対して後悔して涙すること。全部わたし自身が子育てをする中で経験してきたことだった。

わが子が関わるだけで簡単にわたしは自分を見失う。だから美汐がちょっと危なそうな道を歩みそうになった時、「ヤバそうな感じするじゃん、なんでそっちに行こうとするの」という否定的な気持ちより、「こうやって切羽詰まった人間は何かにすがろうとするんだな」という納得感でいっぱいだった。

世の中の言う「いいママ」って、なんだろう。いつも家にいて、ずっと子どものそばにいて。たくさん抱っこしてあげて、心配してあげて、自分のことなんて構わずに、子どもにこれでもかと関心を持って。仕事があっても子どもが最優先で、ワンオペでも堂々と育てきり、毎日手作りの料理を作って、九時には寝かしつけて。 そしてできれば、一人より二人、二人よりは三人産んで。社会のどこかに、それをよしとする風潮があることは、うっすらと感じていた。

loc. 378-379/402 (honto)

『いいママ』ってどこにいるんだろう、少なくともわたしはそれではない。わたしに子育ては向いていない。なんで子どもを産んでしまったのだろう。かつてのわたしはそう思いながら母親をやっていた。でもわたしは既に『いいママ』は社会が生み出した幻想であること、それを誰もわたしには求めていないことを知っている。

フルタイムで仕事してる。料理は苦手だからとりあえず白米におかずが何かあればいいやと思ってる。子どもにイラっとしたら喧嘩してやり合う。妊娠も出産ももうしたくない。きっとこれは『いいママ』じゃない。ならばその対岸にいるであろう『悪いママ』だ。

だからなんだというんだろう。聖母像なんて蹴飛ばしていく所存だ。


最後にひとつ余談を。良い・悪いママについて煩悶している人には、オルナ・ドーナト著・鹿田昌美訳 『母親になって後悔してる』を読むことをおすすめしたい。文体はやや読みづらいが、何かしら救われる言葉に出会えると思う。



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