飲み会で裸踊りをする男性はなぜ生まれるのかー『男子が10代のうちに考えておきたいこと』を読んでー
『男性学』という学問を知っているだろうか。
その男性学を専門としている田中俊之さんによるとこのような説明になる。
わたしは女性だ。
自分が女性であるが故に、女性を主体にして思考していた。つまり「女だから男に比べてこうなんだ」という思考で優劣や損得を考えていた。
そして、女の方が男より損している、つらい思いをしていると感じることが多かった。そう考えるきっかけとなった具体的なエピソードは思い浮かばないのだが、なんとなく「負けている」ような気持ちでいたと思う。
だから、男性学という学問を知り、男性の生きづらさという視点と出会ったこと自体が新鮮だった。
わたしは男性のことを知らなかったし、知ろうともしていなかったと思った。
そこで男性学の入門書といえそうな、田中俊之著『男子が10代のうちに考えておきたいこと』を手に取った。
タイトルにあるように本書は高校生に向けられて書かれた本だが、平易に書かれていても内容が幼稚なわけではない。
特にわたしがなるほどと思った箇所をふたつ引用する。
飲み会で裸踊りをする男性が生まれる理由
実際に目撃したことはないのだが、飲み会で裸になることが笑いを取るための手段である世界線があると耳にしたことがある。聞いた時は驚いたし、何も面白くないだろうと呆れたが、その答えがここにあった。
面白いかどうかよりも、その行為によって『男らしさ』を証明できることが重要だったのだ。
世間的に見れば優秀な自分(達成)は、他の人が簡単にできないようなこともできる(逸脱)ことを主張する手段としての裸踊りなのである。
こうした男性が生まれるのは、男性同士での「こうあるべき」、いわゆるホモソーシャルの中でもまれた結果のように思う。
逆に考えると、強制的にやらされてつらい思いをしている男性も世の中にはいるのかもしれないと想像することも忘れてはならない。
ちなみにホモソーシャルについてのより噛み砕いた詳細な説明はこちらで見られる。
泣けない男性の末路
昔、目の前で男性に泣かれてひどく驚いた記憶がある。
それほど私にとって、男性の涙は珍しいものだったし、今もそうだと思う。
ではそう思うのはなぜなのか。
それは泣くことイコール弱さというイメージと、「男が弱い」ということへの違和感からもたらされていると思う。
男性側も「男なんだから泣かない」「泣かなくてえらい」という刷り込みのもと育ってきたのかも知れないが、それを見る女性側にも同時に、泣く男への違和感が刷り込まれていたのだとはっとした。
さて、泣きたくても泣けない男性はどうなってしまうのか。本書ではこのように語られている。
弱さの見せ方がわからない男性は、無理やり自分が強いことを見せつけようとするという。
威圧的であったり暴力に頼る男性を肯定的に見ることはもちろんできない。
だが、男性が弱くてもいいという考えをわれわれ女性側が持てているのかというのは、きちんと向き合わなければならない問いのように思う。
男も女も悪くない
冒頭の記事で、田中さんはこう語っている。
わたしは「男性が女性に対して何々をした」のようなジェンダーに関する問題について考える時、男はもっと女のことを知れ、もっと慮れと単純に憤ることが多かった。
もちろんその行為自体は、社会的あるいは倫理的な観点などから悪と捉えられるかもしれない。
だが、それは無意識に「女の方が弱い」と考えていることの表れだったとも取れる。
その行為の裏側に、男性の弱さやつらさが潜んでいるかもしれないと考えを巡らせたことはこれまでなかったように思う。
男だけが悪くはないし、だからといって女が悪いわけでもない。
だからこそ知るべきことや考えるべきことは山ほどある。
自分が経験できない苦しみやつらさを知ったり想像したりするというのは骨の折れる作業かもしれない。
だが軽率に男が女がと言って対立しないために、互いにやさしくあるために、わたしはできることをしたい。
断定的に語りにくい内容ゆえに、正直なところ、ここまで書いてきた内容について「この書き方で本当によいのだろうか」と不安がある。
それはまだ自分に学ばなければならないことがあることの証拠だと思う。
ひとまず今の自分にはこうして語ることが精いっぱいだと区切りをつけて、この文章を終わらせることにする。
ありがとうございます。