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夫の退院に際して思うこと。わたしたちは別に不幸じゃない。

夫が『本当に』退院した。
夫が病院で何をしていたかというと、がんの治療をしていた。7月に血液系のがんが見つかり、約3週間入院して治療、数日間だけ退院してまたすぐ入院、というのを繰り返していた。

夫のがんが見つかった時、わたしたち家族は海外で暮らしていた。現地の医者の判断で即座に救急車で運ばれICUに入れられるほど夫は危ない状態だった。はじめは感染症だと思われていた原因不明の全身状態不良が、実はがんに由来するものだと医者から聞かされたのはそれから数日後のこと。そこから1ヶ月ほど治療をして、かなりぎりぎりのラインで飛行機に乗っていい許可がおり、長時間のフライトに耐えてなんとか日本へ戻ってきた。

日本で治療をしてくれる病院が決まってからは(帰国してすぐに治療してくれそうな病院に連絡を取り診てもらえないか依頼した)、本格的な抗がん剤治療が始まった。
抗がん剤を用いた治療は、同じ薬剤の投与を複数回繰り返すことが多い。冒頭で述べたように、治療のために3週間ほど入院し、治療と治療の合間に数日間だけ一時退院して(これは病院側の都合でひとりの患者を長期間入院させられないから)、またすぐに同じ病院に入院して同じ治療をする。このような生活が半年ちょっとほど続き、今に至る。
今回の退院は、本当の意味での退院である。再入院の予定がない、つまり予定していた抗がん剤治療のスケジュールを全て終えたということだ。

退院の前日、仕事の帰り道に子どもを乗せた自転車をこぎながら「明日で退院かあ」とふと思った。すると思いがけず、全身の力がふわっと抜けるような感覚に見舞われ、帰宅後も脱力感が抜けなかった。
ひとりで生活を回すということ。ご飯を食べる、仕事に行く、家事をこなす、子どもを世話する、夫の心配をする。
それはわたしにとって、自分が考えていたよりも重責だったのかもしれない。正確に言うと、そうだと分かってはいたが、なるべくそのことに気づいていない自分のままでいようとしていたのかもしれない。気づかない方がうまく走れる気がするから。夫が救急車で運ばれたあの日から、わたしはたぶん必死だった。たまに自分を鼓舞したり励ましたりする程度ではきっと足りないほどに。

ところで、今年の正月に義両親から年賀状が届いた。「今年こそはいい年になりますように」と書かれており、わたしは反射的に「うるせえ」と思った。昨年がわるい年だったと勝手に決められては困る。
夫の親たちなので、子どもが心配ではあるだろうから気持ちを理解できないわけではないが、それは夫の病気のことしか見ていない。確かに夫の病気が見つかってつらいことは沢山あった。しかし例えば、それを知ってわたしたちを助けてくれた人が沢山いて、その人たちの存在に気づけたことは本当に素晴らしいことだった。
がんが見つかった人やその家族に対して、勝手に『不幸な人たち』のラベルを貼るのはやめてほしい。良いか悪いかを決めるのはわたしたちだ。

でも一方で、夫がふつうに家にいる日常が、それまでよりも良いものになってほしいと願わずにはいられない。抗がん剤の治療は一旦終わりはしたものの、またがんに選ばれてしまうかもしれない。最悪の場合も想定しながら生きるというのは、やっぱりちょっとしんどい。
だが、死を身近に感じずに生きていた頃にはもう戻れない。それは現実から目を背けているだけだ。希望を持って生きることと現実を見ないことはまったく別のものだと思う。
このまま再発などしないでほしいという気持ちと、あと数年でいなくなってしまうかもしれないという気持ち。両方抱えたまま、深刻になりすぎずに生きていきたい。

ひとまず、夫へ。
治療おつかれさまでした。一緒に生活をがんばっていこう。


ありがとうございます。