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【連載小説】 ツインルーム (3) 帰国

これまでのあらすじ

 大学院生の小田切誠司は海外旅行中ロンドンで早苗という同年代の女性に話しかけられ、親しくなる。エジンバラで一度別れたが、リバプールで再開し、一緒にツインルームに泊まることになる。翌朝誠司が起きると、早苗は書き置きを残しすでに旅立っていた。その書き置きから、早苗が前から自分を知っていたのではないかという疑いをもち始める。
 
まだ、読んでいない方は以下のリンクからどうぞ。
⒈ ロンドン
⒉ リバプール



-3- 帰国

 部屋に戻っても、早苗が自分のことをはじめから知っていたという考えがが頭から離れなかった。そんなことがありうるだろうか?大体、こっちは彼女を全く知らない。いや待て、たとえば小学校時代に転校していった女の子なんてことはあるだろうか?実際、小学時代に同じクラスに在籍していてその後転校して行った男が高校の同級生になったとき、俺の方は全く気が付かず向こうから話しかけられて恥ずかしい思いをしたことがある。

 しかし、転校して行った女の子を一人ずつ思い浮かべたが、いずれも早苗という名前ではない。そういや、早苗という名前は本当だろうか?こっちこそ、彼女のパスポートは見ていないので、本当かどうかはわからない。でも、嘘の名前をいう必要があるだろうか?いずれにせよ、もう調べることはできない。

「あーあ、もういいや。早苗は悪気もなく、パスポートをちょっとのぞいただけのだ。一緒の部屋で寝る人間が、偽名を使っていたんじゃ信用できないと思い、確認したのだ。そうに違いない。これでこの件は解決としよう」

 そう自分にいいきかせたが、納得できるわけがない。だいだい、そういう用心深い人間が、知らない男と同じ部屋に寝るわけがない。やっぱり、エクセターに行ってみようか?そんな考えが自分の中でだんだん強くなってきた。

 荷物を急いでまとめ始めた。そして、チェックアウトしにロビーに行った。女主人がレセプションにいて俺を見とめると”Good morning, Mr. Tasaka”と話しかけてきた。もちろん俺は「えっ、タサカってどういうこと?」となった。俺は自分がタサカと呼ばれたことに驚愕した。父と離婚した田坂は母の姓だから。そして、昨日宿代の半額を早苗に払い、彼女がまとめてチェックインと支払を行なっていたことを思い出した。

 結局、俺はエクセターに行くのをやめた。彼女の上の名前は「たさか」なのだ。このことが、早苗が母と何らかの関係があり、初めから自分を知っていたかどうかの証拠にはならない。つまり「田坂」という姓は珍しくはないので、早苗が母と何も関係ないという可能性は大いにある。第一、母と早苗は親子ほど年齢の差があり、俺に妹がいるなんて聞いたことがない。

 仮にそうだとしてもなぜ俺を追いかけるような真似をしたのかわからない。追いかけるにしても、どうやって俺が大英博物館裏の安宿にいることが分かったのだろうか?いやそれは可能だ。今回の旅行では、アムステルダム経由でロンドンに行くことは母にメールで伝えておいた。よって、俺がアムステルダムのスキポール空港からヒースロー空港に行く便名は見当がつくはずだ。そうすれば、俺を見つけることはできる。もしくは、早苗は成田から同じ便に乗っていたのかもしれない。

 俺と父の前から自分の意志で去った母とは子供の時以来会ってはいなかった。バースへの列車のなかでいろいろ考えたあげく、この旅行が終わったら母にメールで「早苗」いう人間を知っているかどうかを聞けばいいという結論に達した。その答えが、Noであれば、もうそれでいい。母は嘘を言わないだろう。そういうふうに割り切れることができ、心のモヤモヤもなくなった。そして予定していなかったエクセターに行かない決心をした自分に感謝した。

 その後俺は、バース、ロンドン、そしてユーロスターでパリへ、それからブラッセル、そして帰国便の出るアムステルダムに戻るという最初の計画通りに旅程をこなした。大都市の観光が多かったので、これ以降あまり他の旅行者と深く知り合いになることはなかった。そして二週間後成田に降り立った。その頃までには、自分の初海外旅行に大いに満足し早苗のことは半ばどうでも良くなっていた。

(つづく)



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