約束の未来~Re:set~③
第一章 リセットされた世界②
「さっきの、誰にも言わないでよね」
「言ったって誰が信じるのよ! 私の頭がおかしくなったって言われるだけ」
それもそうだ、とバカにしたような薄ら笑いを浮かべる碧に。
「今って何年なの?」
腹を括って尋ねた、もう答えはわかっていたけれど。
「二千二十年、俺たちは今、二度目の中学校三年生をしてる。もうすぐ夏休みが終わるとこ」
ああ、やっぱりそうか。
「オレが時間を止めた時、紅は動けていたよね?」
そういえば、と頷く。
「紅が時間を戻した時、俺も記憶を持ったまま時間が戻ってたんだ、いつも。意味がわかる?」
「……わかんない」
「なんでわかんないの? 紅は頭いいくせにね?」
「知ってるんでしょ、どうせ!! 私、本当はそんなに頭なんか良くないし、全部インチキだったってこと!!」
バカにしてるんだ、碧は!
私が今までテストだって、何だって時間巻き戻しては一番になってたことを。
全部知っていたくせに、どうして?
唇を尖らして抗議しようとした私に、碧は嘲笑うかのようにため息を零した。
「オレが時間を止めてもこの世界で紅だけは止まらない。紅が時間を巻き戻してもオレの記憶は無くならない、元は同じ種族だからね」
元は?
だったら今は何?
わからないことだらけの二度目の中学三年生になった私と碧。
碧しか知らない、私という存在。
母だって、きっと知らない、ねえ、そうでしょう?
◇◇◇
特殊能力に目覚めたのは、保育園の時だったと思う。
園庭にあったジャングルジムから手を滑らせて顔面から落ちた。
いや、落ちる寸前だった。
目前に地面が迫ってくるのを、スロモーションの感じた。
きっととっても痛いのだろうと。
痛いだけかな、こんな風に落ちたら、この間友達とぶつかって鼻血を出していたミナちゃんのようになってしまうんじゃないかな。
怖い、とっても怖い。
ギュっと目を瞑って身体を強張らせたのに何も起きなくて――。
「紅ちゃん? どうかしたの? 紅ちゃん」
アズサ先生が私の机の隣にしゃがみこんで私を見上げていた。
「お弁当食べないの? もう、お腹いっぱい?」
お弁当? さっき食べたよ?
けれど、目の前にあるのはさっき食べたはずのお弁当が、まだ手付かずのまま置かれていた。
黄色い卵焼き、タコさんウィンナー、今日は私の大好きなキャラカマボコも入っていて、すごく嬉しかったし、おいしかったはずなのに?
初めての体験に、私はパニックを起こして勢いよく立ち上がった瞬間、目の前の景色がグラグラと揺れて具合が悪くなった。
「紅ちゃん、大丈夫かな? ちょっと涼しいところで休もう、ね?」
先生に抱き抱えられて見えた窓の外、園庭のジャングルジムが見える。
お昼休み、お弁当を食べた後で遊んでいたあのジャングルジムだ。
目を瞑れば落ちる瞬間の映像がハッキリと浮かんできて、私は先生にギュッとしがみついて震えた。
わけのわからない、この不思議な出来事がただただ怖かった。
夢だったんだ、きっと。
そう思い込んで誰にも言うことはなかった。
二度目に能力を使ったのは、それからほんの一週間ぐらい後だったと思う。
一緒に遊んでいたマイちゃんが園庭の花壇で蜂に刺されたのだ。
痛い痛いと泣くマイちゃんの頬っぺたはみるみる赤く腫れあがって、可哀そうだって思った。
ハチがいるってわかっていたら、マイちゃんは花壇に近づかなかったのにな。
ハチに刺される前に戻ればいいのに、って目を瞑って思っただけだった。
「紅ちゃん、お外行こうよ」
ほっぺたの赤くないマイちゃんが私を見ていた。
ジャングルジムの時と同じように、なんだか目の前がグラグラしている。
ああ、あの時と一緒だ……。
「マイちゃん、今日は外に行かない方がいいよ」
マイちゃんを止めなきゃ、って思った。
「何で? マイ、遊びに行きたいもん。紅ちゃんが行かないなら一人で行っちゃうよ?」
「行っちゃダメ、マイちゃん、またハチに刺されちゃう!! 痛くなっちゃうから!!」
泣き出した私に気づいてアズサ先生が宥めに来てくれて、その隙にマイちゃんは一人で遊びに行ってしまう。
「先生、ダメだよ、マイちゃんを止めて!! マイちゃんが大変なことになっちゃうよ」
泣きじゃくる私の声よりも、もっと大きな声が外から聞こえてきた。
「紅ちゃんのせいだ、紅ちゃんがマイのこと、ハチに刺されるって言ったから!!」
ハチに刺されて真っ赤に腫れあがったホッペのマイちゃんが、泣き叫びながら私を睨んでいた。
◇◇◇
「何でこんなことになってるのよ」
今朝――。
そう私にとっては、十年後の未来ではなくリアルに今朝のことだったはずなのだ。
二十五歳、史上最年少で地方裁判官裁判長デビューには思ったよりも多くのマスコミが駆けつけていて、私が裁判所に入るまでを何社ものカメラが密着していた。
カメラ取材など初めてではないけれど、何度味わっても気分がいい。
抱負を聞かれてただ一言。
「ごきげんよう」
と口角を上げ、品よく微笑みを向けて裁判所の中に入った。
抱負? そんなもの、あるわけがない。
だって、私が欲しかったのは地位と名声とお金だけだ。
自分で言ったわけじゃないけれど『美人裁判官』だ、『天才』だと、もて囃されて。
私にはこの先まだまだ華々しい世界が広がっているのだと思っていた。
もっと上に、誰よりも上に昇りつめてやる。
なのに、何が悪かった?
どうして世界は狂ってしまった?
ここまでのし上がったのは運じゃない。
この特殊能力のおかげだ。
失敗したらやり直せばいい、ただそれだけのことだった。
だから史上最年少などと謳われたところで、実際は他の人の何倍も時間はかかった、努力したんだ、私だって。
高校受験は五回受けなおした。
だって四回目までは碧がトップだったから。
一番にならなければ何の意味もないから、五回目でようやく一位になれた時は胸がスッとした。
高三の時に受けた司法試験予備試験、あれなんか十回は受けなおした。
だって、トップじゃなきゃ意味がなかったんだもの。
誰よりも早く出世して、そして私を嫌ってた同級生や同僚やそれ等全部を見下すためには。
「紅、右の耳たぶ、真っ赤だよ?」
碧の言葉にハッとして、私は耳たぶを引っ張っていた指を止めた。
「限度さ」
「は?」
碧の言葉の意味を組めずに、その顔を見ると、微笑みすら浮かべて私を見つめ返してくる。
このポーカーフェイスから思考をくみ取ることは、十年以上、同じ月日を重ねていれば無駄なことだとわかっていた。
早く答えを紡がない碧に苛立つ私に、焦らすようにしてようやく帰って来た答えは。
「紅の場合は限度を超えた、ただそれだけ」
「……、何の? まさか何度も時間を戻したから、って言うんじゃ」
「その、まさかでもあるね」
そんなこともわからないのかと言いたげに、クックと含み笑いをする碧。
「じゃあなぜ今まで止めなかったのよ、わかっていたならもっと早く」
「忠告はしてきたはずだよ」
瞬間フラッシュバックのように甦る、碧からの言葉たち。
自分でちゃんと勉強しなよ。
誰だって寝坊ぐらいするだろ。
怪我なんかいつか治る。
本当にそれは紅の実力?
確か、まだまだ他にも何か言われた。
そう、時間を巻き戻す度に。
見透かしたように嫌なことばかり言う碧だって、ずっと思っていた。
言われるたびに私は責められているような気分で碧を睨んで、彼が何も言わなくなる世界へと時間を巻き戻す。
……言わなかったんじゃない。
碧は私の言動に呆れて言わなくなったのだ。
「最初から碧は私のしていることに、気付いてたの?」
「そうだよ」
「じゃあ、もっとわかりやすく止めてたら良かったじゃないの! だったら私は特殊能力なんか使わなかったかもしれない」
「……そうかな? こうなるって、わかってたら自分で止められた? 本当に?」
私を見据える深い深い碧みがかった瞳が、憐れむように微笑んだ。
「物には限度があるんだよ、紅。回数だけじゃない。やり方さ。君の処分が決まったのは『ひと月ほど前』、何か心当たりはない?」
ひと月と聞いて、グサリと心に突き刺さるものがあり、押し黙った。
私の人生の中で一番の汚点だと思う、それを思い出してしまったから。
ひと月ほど前、私の昇進を決める人事評価の面接があった。
何度戻しただろうか、十回? 二十回?
だって、何度戻してもダメだったんだ。
結果はいつも私よりも二十歳年上の上司が、裁判長昇進に決まってしまう。
だから、その次の巻き戻しの時に、私は正真正銘の不正をした。
大金をはたき、彼にハニートラップを仕掛けたのだ。
真面目で、妻子一筋で、二十年近く勤勉に裁判官として尽くしてきたはずの人を、罠にかけた。
ごく普通のOLを装った美人局の誘惑、最初は拒んでいた彼も最終的には堕ちていった、欲望に逆らえずに。
手に入れた証拠写真をその面接に合わせて上司へと送って終了。
そうして私は「史上最年少で地方裁判官裁判長」という人生の成功者へのプラチナチケットを手に入れたのだ。
「思い出した?」
苦渋に歪む私の顔を見て、碧は小さなため息をついた。
「事情を話して君を止めることは許されていなかった、今まではね。俺はただの監視役だったから。でもね今後はそれを許された、あの裁判によって」
時間が凍り付いたあの空に浮くような法廷内で、見も知らぬ裁判長がそんなこと言ってた気もする。
「紅が今後時間を巻き戻せるのは一度のみ、俺が許可した時だけ。自分のために使うか他人のために使うかは自由だ」
なんで、と言いかけた瞬間。
「その一回で君は失うんだよ、もう一つの世界を」
碧の言葉に頭痛が酷くなってきた。
どうやら私の脳内のキャパが悲鳴をあげている。
お願いだから、もっとゆっくりと説明してよ。
頭を抱え蹲った私を、抱き抱える碧に抵抗ができない。
気を失う一瞬前に見えたのは、碧の湖。
水をたくさん湛えたそれが揺れている。
「間違ったことは今まで一度だってしてこなかった? 違うよね? 紅自身、法を学んできたからわかるはずでしょ? 君は裁かれて当然の行いをしてしまったんだ」
深いため息と共にポタリと落ちた雫は私の頬をつたっていった。
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