見出し画像

約束の未来~Re:set~④

第一章 リセットされた世界③


「紅~? やだ、もう真っ暗じゃない! 寝てるの~?」

 母の声で目が覚めた。
 気が付けばまた小さな私の自室。
 そう十九歳まで母と過ごした家だった。
 さっきと違うのは、どうやらもう日は落ちていて、だから部屋が暗いのだということ。
 カーテンの隙間から覗く夜空には、満月が浮かんでいた。
 蒸し暑いせいか、夜でもまだ蝉の鳴き声が聞こえている。
 さっきまで私はあおの家にいなかったっけ?
 ボンヤリとしたまま起き上がり、部屋の電気をつけて鏡を見ると、今朝着替えた服のままだ。
 髪の長い自分、中学生の時に好んで着ていたTシャツとデニム。
 よく見たらTシャツの裾に茶色いシミ。
 正体はきっと空中に止まったあのお茶、だ。
 夢じゃない、全部全部覚えている。

「紅~?」

 ノックもなしにガチャリと私の部屋の扉を開けるのは母の悪い癖だ。
 何度言っても直す気がないようなので、私は不機嫌にそれを見るだけになった。

「起きてたのね、ご飯食べようよ。お腹すいたでしょ」

 言われて初めて、それに応えるように、ぐううっと大きな音を立てる私のお腹。
 
「冷蔵庫に入ってたおかずも減ってないし、パンも減ってない。お母さんがいないと何も食べないで一日中勉強ばかりしてるんだから」

 もう、と笑う母の能天気さが本当に羨ましい。
 私本当にこの人の子供なんだろうかって、昔から思ってた。
 年中無休じゃないかってぐらい安月給で保育士として働く母。
 小学校高学年になると学童に行かなくなった私は、いつも夜の十九時頃まで一人きりだった。
 母子家庭だから仕方がない、そう割り切って小さい頃からどこか冷めた子供だった。
 いつも夕飯に並ぶのはスーパーの見切り品の札のついた総菜。
 私はそういうのの全てが嫌だったんだ。
 母子家庭が嫌なわけじゃない、貧乏ったらしいのが嫌いだっただけ。
 五百円玉一枚で一日生活しないといけなかったり、テーブルに並んだ総菜の見切り品の値札や、母の口癖の『もったいない』、そういうのの全てが大嫌いだったのに。
 なのに、どうしてだろう?

「紅、どうしたの?」

 惣菜のしなっと湿気を含んだようなコロッケが懐かしくて美味しいと思ってしまった。

「別に」

 目頭が熱くなってこみ上げる物を誤魔化すように、この夕飯で唯一母が作ってくれた即席みそ汁と共に飲み込んだ。

 朝、台所に向かうお母さんの背中をしばらく眺めていた。
 確か五年ぐらい会ってなかったな。

「お母さん」

 声をかけると母が驚いた顔で振り返る。

「おはよう、珍しいわね、学校が休みなのに紅が早起きなんて」

 早起きしたくないわけじゃなかったんだ、確か。
 あの頃は母と顔をあわせるのが嫌だったから。
 玄関で私を起こさないように小さな声で「いってきます」が聞こえて、それから外から鍵をかける音。
 母の足音が遠ざかるのを確認してから、布団から出ていたんだ。
 
「私のは自分でやるから。支度したら?」
 
 自分の支度よりもいつも私の朝ご飯を作るのが先だった。
 目玉焼きとウィンナー、うちの定番の朝メニュー。

「あら、いいの? お母さん楽させてもらえちゃう、ありがとう」

 ニコリと笑ってすれ違いざまに私の頭をポンポンと優しく叩いて朝の身支度に取り掛かりだす。
 見慣れていた光景、安い化粧品を使って本当に短時間で仕上げてしまう母、クリームファンデ一つしか使ってない、後は眉毛を描いて整えて。
 髪の毛だって一つにまとめておしまいなのだ。
 仕事場が保育園なのだから、確かに厚化粧なんかしなくてもいいのだけれど。
 もうちょっとお洒落したら、少しはキレイに見えるのに、とあの頃と同じように思った。
 母の身支度を横目で見ながらフライパンの蓋を取った瞬間、熱くなったなべ底に蓋の裏側の水滴が落ち、ジュワッと音を立てながら私の腕に少し跳ねた。

「アツッ」

 いつもなら既に発動しているだろう時間の巻き戻しができないことを改めて知る。
 そういえば、昨日のお茶の時もそうだった。
 今までの自分であれば、危ないと感じた時点で、意識しなくても時間は巻き戻っていたはずだったのに。

『事情を話して君を止めることは許されていなかった、今まではね。俺はただの監視役だったから。でもね今後にどめそれ・・を許された、あの裁判によって』
『紅が今後時間を巻き戻せるのは一度のみ、俺が許可した時だけ。自分のために使うか他人のために使うかは自由だ』

 今は碧がそれを止めているってこと?
 だから発動しないの?
 私が特殊能力チカラを使うためには碧の許可が必要で、それから、何かもう一つ大事なことを言っていた気が……。

「ボーッとしてないですぐに冷やさないとダメよ、痕が残っちゃうでしょ」

 いつの間にか私の隣に立っていた母が私の腕の赤い部分を水道水で冷やし出す。

「小さな火傷だし、すぐに治ると思うけれどね」

 私を安心させるかのような笑顔の母の言葉に素直に頷く。
 火傷ってこんな小さくてもジンジンして痛いんだ。

『怪我なんかいつか治る』

 碧の言葉が甦ってきてジクジクと心の中が火傷したみたいな気分だ。

 朝ご飯を食べながら出勤する母の背中を見送って、テーブルの上に置いてある日めくりカレンダーを手にした。
 本日は八月二十五日、後数日で夏休みが終了。
 その事実にため息をついた。

 ……学校って、また行かなきゃいけないんだよね?

 夏休みが終わるその前に碧にはまだまだ聞かなきゃいけないことがいっぱいある。
 私たちの持つこの妙な特殊能力チカラのこと。
 それと、私たちは何者なのか、ということ。
 他にも聞きたいことはたくさんある。

 ただ、それよりも先にやらなきゃならないこと、といえば……。

『あ、どうしよう、洗濯物干す時間ないかも』

 出勤時間間際になってわあわあ、キャーキャー言っている母にため息をついて。

『やっとくから、行けば?』

 そう言ったら、何だか泣きだしそうな顔で私を抱きしめてた。
 理由は簡単だ、今まで私は家事を一切手伝ったことがなかったからね。
 それが今になって突然、手伝うだなんて言うから、母は泣きそうなほど嬉しかったんだろう。
 食べ終わった食器を洗い、洗濯物を干す。
 一人暮らしをしてからは、何とかこなせるようにはなった作業。
 母に習ったことなどないから、未だに料理は下手くそだけどね。
 十年のやり直しとか、とんでもないひっ迫した状況下で、私ってば何してるんだろう。
 朝から三十度を超える茹だるような暑さ、蝉の鳴き声がけたたましい小さな庭で、汗だくになって洗濯を干している自分は一体何者なんだろうか?
 この暑さが天罰なの? っていうぐらい、ギラギラと頭のてっぺんから私を焦がそうとする太陽を、恨みがましく睨み上げる。
 
 ふと、一瞬蝉の鳴き声すら止み、全てが嘘のように感じる静寂。

 実は十年後、裁判官をしていた自分こそが全て夢だったんじゃないかな、とか思い始めた。
 特殊能力チカラなんて全部私の妄想が創り出したものなんじゃないかな。
 考え出すと、どれが現実でどれが夢なのかわからなくなりそうで、目の前がクラリとする。
 
「え?」

 洗濯物を干し終えてもまだ太陽とケンカ中の私に、突然現実が降って来た。
 頭の天辺から水が滴り落ちる。
 水!? なんで!?
 大量に私の頭にだけ降り注ぐ水の出る方向に目を向けたら。

「おはよ、今日も暑いね」

 水撒きホースを私に向けた碧が、ひらひらと愉しそうに手を振っていた。

「……何、してんのよ?」

 こちらが怒っているというのに、それでも尚ホースの水を私に浴びせる続ける碧は。

「だって暑そうだったし」

 悪びれることなく、汗一つかいていない顔で涼し気に笑う。

「着替えたら、そっちに行くから! ちょっと待ってて」

 一発ぶん殴らないと気がすまない。

「あ、いいよ、今日は俺が紅の家に行くから」
「はあ!?」

 来るな、つうか来ないで!
 無言の抵抗で睨みつけたら。

「母さんの体調が悪くてさ」

 微笑む碧の言葉の重たさに、私は何も言い返せなくなる。
 碧のお母さんはこの頃から病気がちで、通院したり時には長期に渡って入院していたりしていた。
 家にいる時も時々体調を崩していたのも覚えている。

「……二十分待って、着替えるから。ちゃんと玄関から入ってきなさいよ」

 そう言っておかないと碧は幼い頃のように、隔てる垣根を越えてベランダから入ってきそうなんだもの。
 すぐに部屋に戻って適当な服を引っ張り出す。
 どれもこれもセールで買ったTシャツばっかで、首元も緩くなってきてる。
 相手は碧だし、どうでもいいけど。
 当時これも確かよく着てたな、とパーカーTシャツに袖を通し、膝下までのヨレヨレのサブリナパンツを履いた。

 昔から碧が私の家に来るのが本当に嫌だった。
 だって碧の家とは、全然違う小さな小さな木造の我が家。
 台所のついた八畳ほどの居間と、お母さんの部屋、そして私の部屋。
 碧の家の何分の一かってぐらい、小さくて狭いこの家が恥ずかしくて、だから来て欲しくなかったんだ。
 着替え終り玄関のドアを開けようとして気付くのは居間に人のいる気配だ。
 それが誰かなんて、決まってる。

「勝手に入るなって言ったじゃん!!」

 ベランダから上がり込んで、人の家の冷蔵庫開け、まるで自分の家のように麦茶を出して飲んでる碧は、私が怒っているのをみて首をかしげた。
 そうして、何か思い出したように。

「お邪魔してます」

 と口元だけで微笑んだけど、そういうことじゃない。

「昨日、どこまで話したか覚えてる?」

 私も自分のコップに麦茶を注いで食卓テーブルを挟んで碧の前に腰かける。

「何だっけ、後一回しか特殊能力チカラは使えない、とか。碧の許可が必要とか」

 私の答えを聞いて頷いてた碧は、不服そうに首をかしげた。

「え? そこまでしか覚えてない? やっぱいきなりじゃ許容範囲超えるよね」

 まるで物覚えの悪い子に呆れた先生みたいな顔で、苦笑いしている碧が、本当にムカつく。

「昨日は、許容範囲超オーバーヒートして倒れちゃったから、今日はもうちょっと噛み砕いて説明しようか?」
「……お気遣いなく、どうぞ? 全然理解できてるし」

 バカにしてる、絶対!
 確かに昨日はあまりにも私の理解を通り越した次元に頭がついていけなくて、情けなく気絶してしまったんだろうけれど、それはホラご飯も食べてなかったし、うん。
 今日は大丈夫、糖質は取った! 糖質は脳のエネルギーだ、万全!

「じゃあ、紅の肩にある痣の話、しようか」

 意気込んでいた私の肩に、ふっと碧は視線を止めた。

「赤の痣を持つ一族の最後の末裔まつえいが紅」
「待って、」

 いきなりの本題にまた頭がパンクしてしまう前に、私はノートを持ってきて、授業のように碧の話を書き留めることにした。
 ……最後の末裔、そんなの聞き返さなくても意味は理解できた。
 赤の一族という種族があって、その特殊能力チカラ、つまり時間を巻き戻すことができるのは私だけということ。

「続けるよ? 青の痣を持つ一族、今時空界で俺たちが一番メジャーなんだけれど」

 メジャー!? 何そのちょっとポップな感じ? ますます意味不明だ。
 つまり青の種族っていうのは、時間を止められる特殊能力ちからを持ち、人数が一番多いということでいいのよね?

「青の一族は主に時間を守る一族。不正を取り締まる。だから職業としては弁護士や裁判官や警察や、つまり正義を司るわけで」
「だから? 碧が弁護士になったのって!!」
 
 ハッと息を飲んだ。
 十年後の昨日、私が華々しく小さくとも裁判長としてデビューしたあの法廷内。
 被告の弁護人に立っていたのは六年ぶりに再会した碧だった。
 いつかは会う日が来るのかもしれない、と碧が弁護士を目指した時にそう思ってはいたけれどね。

「人間界の法もなかなか面白いからね。俺がそれを目指したのも興味、それと紅の監視もあったし」
「すごく気分悪いんだけど、監視監視って。しかも確か私が生まれた時からって言ってなかったっけ?」
「そうだよ、赤の一族の末裔が日本ここに生まれ落ちたと知った時空界では、大騒ぎだったんだよ。それで当時生まれたばかりの俺に白羽の矢が立って」

 赤ん坊が赤ん坊の監視!?

「俺は純血だし、生れ落ちてすぐに全てを理解してたからね、自分の役目だってわかってた」

 ……、待って、ちょっと待て!!

「俺は純血って。だったら私は純血ではない、ってそう言いたいの?」
「簡単に言うとそうなるんだけれど、ちょっと難しいかもしれないよ?」

 碧のその言葉に、また慌ててノートを取り始める。

「赤は、赤同士でしか純血種は生まれない。青は赤と交わっても青が生まれそれは純血、つまり青の能力しか持たない子になる。だから今時空界ではほとんどが青の種族ばかり。どの色の種族も青には敵わないんだよ、何故か。逆に赤はどの種族にも敵わない。意図して赤同士で結ばれない限りは種族は途切れていく」

 碧の言葉を書き留めながら頭の中で整理をした。
 赤の種族が他の種族と交わったら、その他の種族の子しか生まれない。
 だけど碧は私のことを『純血種ではない赤の種族』だと言った。

「君の父上は赤の種族の最後の純血種だった。彼はね、時空界から追放されたんだ、裁きによってね」

 私の、父親……?
 生まれた時にはもういなかっただろう父親。
 何故なら私のアルバムには父の写真がない。
 そして母の戸籍は母が生まれた時のまま、そこに私の名前が子として載っているだけで、父親の名前は空欄だった。
 高校入試の時ぐらいだったろうか、それを目にしてしまったのは。
 見てはいけないものを見たのだと私の中で封印していたのだ、父親というものを。
 母が一度も口にしたことはなかったし、聞いてはいけないんじゃないかと思ってた、父親。

 私に下った裁きは十年の人生やり直し。
 父に下ったのは時空界からの追放。

 親子揃っての罪人であったことに悲しいとか、悔しいとかよりも。
 血は争えないことにただがっかりした。

最初から読むにはこちらから↓



この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?