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約束の未来~Re:set~⑬

第三章 新しい自分④

「おはよ、紅」

 よくもまあ何事もなかったような顔をしていられるな。
 私はと言うとダブルショックで寝不足だというのに。

「もういいの? 明日まで休むつもりだったんじゃないの?」

 全然何も気にしてません、通常運転です、と取り澄ました顔をして、いつものように応対したのに。

「いつまでも休んでるのも良くないだろうって、父さんがね。それと俺がいないと宵が好き勝手してるみたいなんで」

 と、私の額に冷たい視線を這わせたので思わず顔を背けた。

「ん? 紅、もしかして昨日の気にしてる?」
「してるに決まって」

 挑発するような碧の微笑に思わず応えてしまってから、ハッとして口をつぐんだ。
 
「ごめんね、突然すぎたよね」
「っ、本当だよ」
アイツの印を取り消すには、何か他の印が必要でさ」
「い、ん……?!」
「そう、契約の予約印みたいなもの、人がいない隙に何勝手なことしてんだか」
「えっと」

 ちょっと待って。
 私が夕べ、その印ってやつを、キ、キスだと思い込んで思い悩んで寝不足になったのは。
 印? そして、印の取り消しだと?

「もう紅は誰の予約者でもないから安心して」

 プツと何かがキレるような音がした。

「ああ、そうなのね。ありがとうございました! 最初から言っておいてよね、そんな大事なこと」
 
 知ってたら私、あんなにドキドキなんかしなかったのに。
 プイッと顔を背け歩き出す私の横で碧はいつものように飄々ひょうひょうとしているのが何だか悔しい。

「大体ね、宵の色香にやられた紅が一番悪いんだよ?」
「え?」
「印の取り消しだって、……こっちだって勇気がいる」

 いつも通りの碧のポーカーフェイス、だけど耳たぶが少し赤い気がした。

 日常が戻って来ると、相も変わらず宵は私と碧の周りをうろつきだす。
 碧も私もそれを嫌がってはいるものの、不思議なことに、前ほどではなかったりする。
 最初の出会いは何だったのか、と思う。
 あの時の宵の強引な様は今はすっかり成りをひそめている、ように思えた。

「ねえ、後九年もあるの? 紅ちゃんの刑期」

 学校帰り、普通に物騒なキーワードを口にした宵を睨むと、ごめんごめん、と悪びれもせず舌を出す。

「そうだね、一年経った」

 私の代わりに答えたのは碧。
 やっと一年だ。生きてきてこんなに長い一年を感じたのは初めてかもしれない。
 普通に考えたらその前は何度も巻き戻し人生を送っていたのだから、絶対にもっと時間がかかっていたはずなのに。
 見上げた茜色の空に浮かぶウロコ雲。
 頬を撫でる風はすっかりと夏のべったりとしたものではなくて、もうじきやってくる冬のために乾いた空気へと様変わりしている。

 二十五歳の秋もこんなんだったろうか?
 あの頃の自分が見た景色がどんなのかを覚えていない。
 忘れているのもあるかもしれないけれど、多分私はこんな風な季節の移ろいを気にも留めたことがなかった。

「九年は長いなあ」

 はああ、とため息をつく宵。
 一瞬私のことを憐れんでいるのかと思ったら。

「九年も待ってんの嫌だな、オレ」
「はい?」
「だって九年後は自由の身だから碧くんの監視も無くなるわけだし、紅ちゃんと晴れて結婚も」
「しません!」
「え? じゃあ、碧くんと結婚する気?」
「「それもない!!」」

 異口同音に被った声に驚いた。
 私と同じように否定したのが碧なのはわかっているけれど、その顔は何だか怒っているようで。
 私は、別に怒ってなんかないのに。
 ただからかわれるのが嫌なだけだったのにな、と少しだけ寂しくなる。

「宵、君はわかっているよね? 君と紅が結婚したら、紅がどうなるか」
「わかってるよ、黒の一族に幸運をもたらす」
「それだけじゃないだろ、赤の一族は」

 ん~、としばらく考えていた宵が思いついたように。

「赤の末裔が紅ちゃんしかいないなら途絶えるね、でも代わりに紅ちゃんは時間を巻き戻すことも進めることも止めることだってできるようになる。それってどっちが得だと思う?」
「得とか損とかじゃない、途絶えさせてしまうんだよ、赤が消えてしまう」
「でも、どっちにしたって消えちゃうじゃん、多分……、元々紅ちゃんは半分人間なんだし」

 チラリと憐れむように私を見る宵。
 さっきからこの二人の話し合いの中心は私のことなのに、当人は除外されている。

「碧くんはなんで?」
「え?」
「紅ちゃんのこと好きなんじゃないの? 結婚しようとは思わないわけ?」

 は? 硬直した碧、そして私。
 目が合った瞬間、お互いに思い切りソッポを向きあった。
 沈黙を破るように聞こえてきたのは碧のため息。

「紅は誰とも結婚しない方がいいと思う」
「はあ?」

 確かに私前の人生でも結婚はしてなかったし、恋愛すらしていなかった。
 多分その先の未来にもそういった人は現れなかっただろう、あのままであれば。
 だけど、それを今回の人生始まったばかりで碧に決められるのは到底納得がいかない。

「どうせ、できませんよ」

 卑屈な私の返事に碧は少しだけ悲しそうな顔をした。

「俺は赤の血を守りたい、例え紅で最後だとしても。だったら最後まで紅は、紅のままでいてほしい」

 真剣な眼差しの碧の言葉が酷く重たいものに感じた。

「一つだけ紅が結婚という道を選ぶことがあるとすれば……、普通の人間と結婚したらいい、そうしたら紅のままだ。血は薄れていくから紅の子供にも影響はないと思う」

 何も言えなくなってしまった私に。

「そんなの紅ちゃんが決めることじゃん、碧くんの理想押し付けるなよ」

 軽く私の気持ちを代弁してしまった宵に感謝したくなった。


 ……、さてどうしようか。
 目の前のプリントと睨めっこをし続けている。
 特進クラスでは一年生のうちから進路希望を提出しなくてはならない。
 昔なら間違いなく書いていた将来の職業、それに向けての明確な進路。
 あの時私は史上最年少、高校三年生の十一月に司法試験の予備試験を受け合格した。
 最も、一度で合格したわけじゃなかったけれどね。
 あの時はいつも通り時間を戻してそしてトップ合格を果たしたのだ。
 それから翌年の五月司法試験を受けて、と。
 その流れを書けばいいだけなのに――。

『裁判官になるわよ、今度こそ実力で! それでいつか碧の本当のお父さんをあの裁判長まんなかの席から引き摺り落としてやるから』

 何だか、情けなくなる。
 意地だけでああ言ってしまったことも。
 
 私は本当に裁判官になりたいの?

 ため息をついてテーブルにうつ伏せになっている内に眠ってしまったようだ。

「紅、紅ってば! 家の中は真っ暗だし。声もしないし、ビックリするでしょう? 昼寝でもベッドで休みなさいよ」

 母の手で揺り起こされてしばらく自分の状況が飲み込めずボーッとしていたけれど。

「あ、ごめん、ご飯まだ作ってなかった」
「いいよ、紅だって疲れてる時はある、そういう時は母さんにまかせて。とはいえ、この時間だし冷凍モノ、チンでもいいかな」

 冷凍チャーハンの袋を持ち笑う母に頷き、時計を見たら二十時になろうとしていた。
 座ったまま三時間以上寝ちゃってたの?!
 どうりでお尻も背中も痛いはずだわ。
 う~んと伸びをして身体をほぐしていたら。

「紅、家のことは気にしないでいいから、自分の好きな進路を書きなさいね。裁判官、なりたいんでしょ?」

 え? 目の前のプリント、見られてたんだ。

「貧乏だけど、紅が進学するための保険や貯えなんかはちゃんとしてるから、ね? 大学でも何でも好きな道に進むのよ」

 遠慮しないで、そう笑った母が、あの日の母とシンクロした。
 同じような会話をしたことがあった。
 思い出さなきゃ良かったことは、何故かハッキリと脳裏に浮かぶ。

◇◇◇

「遠慮しないで」

 そう笑った母に向かって私は酷く苛立っていた。
 遠慮するなと言われたって、するに決まっているだろう。
 いつだって貧乏なんだもの、それを大学?
 裁判官になるための法科大学や大学院の費用がどれくらいか知ってる?
 安くても年間百万以上かかるのよ?

 それを容易く、家のことは気にしないで、遠慮はするな?

「迷惑かけるつもりないし」
「え?」
「高校生のうちに予備試験に合格するつもり、大学には進学しない」
「ねえ、でもそれってとっても難しいことなんじゃ……、お母さんはよくわからないけれど」
「わかんないなら黙ってて? お母さん、何も知らないじゃん? いつもそうやって難しいことはわからないって、調べる気もないんじゃない? そんなんでよく娘の進路にとやかく言えるよね?」

 傷ついたように黙ってしまった母に追い打ちをかけるように。

「私、嫌なのね、お母さんの仕事」
「え?」
「夜遅くまで仕事して、給料だって安いし労働に見合ってない。いつも疲れた顔をして、それで必死に私を育ててます、みたいな。私だって、こんな環境に生まれたくなんかなかった。自分の育ってる環境がどんなんで、それ計算しながら将来の心配しなきゃならない家の子になんて生まれたくなかった」

 何も言わずに困った顔をした母が。

「ご飯、作るね」

 背を向けた時、泣いているのがわかって。

「いらない、食べたくないから」

 そう言い捨てて、母を泣かせた罪悪感から逃げた。
 だって本当のこと、だもん。
 私は母みたいにはなりたくないから、だから裁判官を目指す。
 裁判官になればきっと今みたいな生活からは脱却できる、なりたい理由なんかそれだけだった。

◇◇◇

「あの、ね」
「ん?」
「私、さ、裁判官にならなくてもいいかな?」
「え?」

 振り返った母が目を丸くして驚いてる。

「どうして? やっぱり遠慮してるの?」

 丁度チーンとレンジの音が響きチャーハンの良い匂いが漂ってきた。
 母はそれを二人分に分けてくれて、ササッと作ってくれたスープと共にテーブルに置いて。

「さっきも言ったけどお母さん少しは貯蓄だってしてきたし」
「そうじゃないんだ、そういうのじゃ」

 いただきます、と手を合わせ質素だけど、懐かしい母のメニューを味わう。
 忙しい時はこういうのばっかりだった、最近は私が作ってたからこれよりほんの少しはマシだったけれど。
 うん、久々にこれはこれでありかも。

「なりたいものが、他にもあって」

 ぼんやりと、だけど、ここのところずっとそれが頭に浮かんでた。

「なに? いいよ? 紅の将来だもの、紅の好きな道を選んで」
「……に、」
「え?」
「……保育士になろうかと思ってる」

 カチャンと大きな音がして目の前の母を見たら、手に持っていたスプーンを床に落とした音だった。

「やだ、もう、何してんの?」

 拾ってあげようとしたら、母がそれに気づき慌てて拾い上げて。

「だって、紅が変なこと言うから」
「何よ、変なことって……、保育士、私には難しい?」
「ううん、全然……紅には、あってる、うん」

 そう言って母はスプーンを洗いにキッチンへと立ち上がり。

「ま、まだ、二年あるしね、気が変わったらゴメンだけど」
「そうね、うん、そうだね」

 微笑んだ母が泣いているのを見た。
 あの時の悲しそうな涙じゃない、多分、嬉し涙に私は見えた。

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