特急しらさぎに揺られる(岐阜から米原へ)
いつもより一時間遅く起床した日曜日。わたしとにっとは、布団でうだうだ話し合う。
「にっとさん、今日は公園に行く? おうちでおやつ作りする?」
「うーん……電車だな」
近場でのんびりという計画は、四歳男児の頭にはないらしい。
以前の電車旅でのやり残しもあるため、
名古屋駅前のねじねじが本当になくなったさまを確認しに行こうか。
「名古屋はちょっとおれ、やめときたいな。人だらけで疲れちゃう」
そうかい。
とりあえずいつもの最寄り駅から名鉄に揺られ、いつもの岐阜駅に辿り着く。時刻は十時ぴったり。ここから名古屋は経由しないで行ける県外といえば、滋賀県方面か。米原とか。
長浜の黒壁スクエア、大好きなのだ。
駅構内、ざわめきの中で必死に思考を巡らせる。
米原駅までの道中で、小さな体が疲れてしまうかもしれない。わたしも思いがけず、昨日まで六連勤になってしまった。お互いの様子を見て余裕があれば長浜まで行くし、米原駅周辺でゆったり他県の空気を楽しむもよし。
「米原っていうところに行ってみようか。新幹線が見られるよ」
米原駅から徒歩圏内に、新幹線が保存されているところがある、と聞いたような。
「新幹線? 行く行く」
急に「うぉーっ、ピシュシュシュ……」等々謎の擬音を唱え出す。左手はわたしとつないでくれてはいるけれど、右手が空を昇ったと思いきや、急降下した。テンション爆上がりしたにっとをよそに、母は一人、路線図と券売機に忙しい。
「岐阜から米原、八六〇円、特急? えーっと次の電車が……?」
改札口に掲げられた電光掲示板を見やる。
十時六分新快速米原行き、十時十二分特急しらさぎ金沢行き。
「特急しらさぎ?」
名前は聞いたことがある。
大阪方面からくる特急やら、富山まで行くやら、長野へ向かうやら、岐阜駅にはさまざまな特急列車がやってくる。特急ひだ、ワイドビューしなの、そして特急しらさぎ。
あと十二分待つだけで、新快速よりさらに早い、特別な列車に乗れるなんて。
券売機の画面を「特急」に切り替える。米原まで乗車券が八六〇円プラス特急券七六〇円。合わせて一六二〇円。安い。自由席であれば四歳にっとは無料。
どこだかの路線で遅延が発生しているとアナウンスがある。それでも五分程度の遅れで済み、ホームに特急しらさぎが滑り込んでくる。
「うおーっ! なんだあれは! どんな顔してんだよ!」
「特急しらさぎって言うんだよ、今から乗るんだよ」
真っ白な顔が無機質にクールな特急しらさぎ。フロントガラスの位置からして、運転席が高いところにあるのがわかる。
自由席である五号車に乗る。列の七番目くらいだから、前の人たちが次々空いた席を見つけて飛びつく様子に緊張した。が、どうにか二つのシートが空いている場所を見つけて確保する。
「わーすごい、新幹線みたいだね。ママもはじめて乗ったよ」
出張風のスーツマンや、旅行に行くのか自撮りに忙しそうな女の子たち、自由席はほとんど埋まっているが静かだ。わたしも声をひそめてキョロキョロする。にっとは座るいすを手のひらでぐいぐい押して、真剣なまなざし。
「テーブルがついてるのは新幹線と一緒。ふかふかだから新幹線と一緒。おいすの模様は名鉄のおいすと一緒」
用心深く観察している。
「本当だ。模様は名鉄のに似てるね」
「ママ、テーブル出していい?」
「いいけど出すならずっと出しといてよ」
テーブル右上の丸いくぼみにペットボトルのりんごジュースを置くよう指示されて、従うと飲むべくすぐさま手を伸ばした。
「もっとゆっくりやって!」
言い切るや否や、ほら見ろ早速キャップが落ちた。しゃがんだ身をさらに屈めると、前の座席の人の足元に、発見。届くか? ゴム人間の気持ちで精一杯腕を伸ばすと、どうにか捕まえることができた。
ショッキングな出来事を、広い窓から景色を見て癒すにっと。うしろ頭はなにも言わない。びゅんびゅん飛んでいく田園風景、時々川、集まる家々、たまに工場。
そのうち眠たくなってしまったのか、うしろ頭がくらくら揺れ始める。
「疲れた?」
問いかけに一つ、うなずいた。
「寝てもいいよ」
わずかに倒したシートに身を預け、まぶたがくっつく……はずが車窓が急に真っ暗になり、
「トンネルだ!」
がばりと飛び起きた。
岐阜県と滋賀県の県境付近は山が連なる。しらさぎのくちばしは山々を貫き進むのか。人気のない山道には、置き去りにされたみたいに、突然一ヶ所だけ雪が固まり残っていた。
「寝なよ」と「トンネルだ!」を繰り返し、三十分ちょっとの特急タイムが終わりを迎える。
列を成して降り立つホームは、空気がきんと張りつめている。東北で吸ったのと同じ。まっすぐ口を、喉の奥を通り行く。寒い地の空気の味。
改札を出てすぐ、小さな駅弁屋さんが待ち構えていた。数名が取り囲む様子につられて買う買う騒ぐ、絶対食べきれない男。しかし駅弁、わたしは食べたい。だけど安くて一五〇〇円近く、わたしが買うならにっとも買わねば、でもってそれを絶対食べきれない男……。
ふと右を向けば、見慣れたセブンイレブンの看板が。
「あっちにもお弁当あるよ」
指差すと、
「見てみようぜ!」
いともたやすく駆け出した。
鳥飯弁当をこれこれと手に取り離さない。絶対残す……が、頑固マンに従う。自分で決めたならもう譲らないし、たまの旅だ。それに、さっきねだった駅弁と比べたらかわいい値段。
四〇〇円の鳥飯弁当と、わたしのサーモン寿司おにぎりを買い、改札をやっと出た。そこらへんの空いたベンチで、早めの昼食とする。
「いただきまーす! はぁ疲れた」
「ゆっくり食べて元気になってね」
食べればにっとの体力もいくらか回復するだろう。
「おいしい! すっげーおいしいね」
「おいしい? よかった。あ、お口詰めすぎ」
「おいしいよ。駅で買うからおいしいね。お弁当屋さんが、たくさん食べてねって思いながら作ったから、おいしいんだね」
舞い上がって、あの店がセブンイレブンだったことに気づいていないらしい。
……まあしかしよく食べた。鳥飯弁当は、漬物以外が小さな胃袋に収まった。りんごジュースもぐいぐい飲んで、元気いっぱいの「ごちそうさまでした!」となった。
さて、新幹線の展示場だが。
「ちょっともしもし(スマホ)で調べるね」
グーグルマップで米原駅を検索。徒歩圏内なら周辺に写り込むはずだ。すぐにそれらしきものを発見できた。
ふむ。
駅周辺案内の看板と、グーグルマップを見比べる。
「駅の外のくるりが丸い方は西口。四角い方は東口。新幹線保存場は四角いくるりを背に、線路沿いに行けばよし……」
東口を目指す足取りは、つなぐ手からも重たくなったのが伝わる。食べたとて疲れのすべては拭えないのだろう。
外に出ると風はないのに、吸う息が冷たいのをさらに感じた。バスロータリーに並ぶ人々はみんなほのかにうつむいている。
右手に「カレー」ののぼりがはためく。さっきグーグルマップに載っていた喫茶店だろう。線路沿いに歩き出す。真横を貨物列車に新幹線、見たことのないラッピング車両、ひっきりなしに電車が行き来する。
正面にすぐに新幹線の頭が見えてきて、五分とちょっとでたどり着く。
へぇ~。
入れないんだぁ……。
柵越しに写真を撮るのって難しい。
母がスマホのカメラをあちこちに構えている横で、
「怖い怖い怖い! あの新幹線、お顔が怖いー!」
と困り顔で腰の引けた電車おたくがいる。
「三〇〇って書いてあるから三〇〇系じゃない? 図鑑で見たやつの仲間だよ」
「でも怖いの! おめめとおめめとお口が怖い!」
柵にすら近寄ろうとしない。となれば仕方ない。
「駅に帰ろうか」
にっとはがくがくうなづいた。
滞在時間一分!
米原駅のすぐとなりには、かわいい信楽焼のたぬきたちが呼び寄せる、パンやお弁当のお店があった。
どうも米原市役所の一角らしい。トイレをお借りして、にっとはドーナツ、わたしはマフィンを購入、優しき息子は「パパにお土産」とろうすの分までドーナツを選んでトレイに乗せた。
帰りも特急しらさぎでピャッと岐阜まで……と思ったら約二時間後にしかこない。時間が合うのは三十分後の普通列車。
のんびり帰ろう。時間をかけて乗れば、にっとも眠れるんじゃないか。と思ったのに、結局帰りも眠りかけては車窓の向こう、眠りかけてはすれ違う電車、と発見が多くあって忙しそうだった。
無計画の思いつき小旅行は、不思議と心地よかった。特別な特急列車が、新幹線での大移動気分にさせてくれたからだろうか。
名鉄で最寄りまで戻り、帰宅すると十四時半を過ぎていた。にっとはいかにまだ乗り足りないかをぐずり怒り全身で表す。寝そうで寝ない顔をして。そんなに乗りたきゃ、次は長浜駅コースの刑だ。
……という旅の写真をメールでわたしの父に送った。
・来月はダイヤ改正がある
・北陸新幹線が開通する
→しらさぎも本数が減る
全席指定席になる
・現在は名古屋から金沢駅まで
→敦賀駅までに短くなる
↓ゆえに
月末から来月まではマニアが乗りに来るから混むかも
てな内容を熱く語る返信があった。
気持ちいい思い出をくれた快適な列車が減るのは寂しい。金沢まで乗ってみたかったなぁ。
もう一点。
新幹線保存場は年に一回、柵の中に入れる公開日があるらしい。なるほどネットのみんなはその日に撮った柵なしの写真を載せていたのか!リサーチ大事。