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そのいのち。は、

読了すると、時間に余裕がある時は、拙いが感想文を書くことにしている。が、今回、読み終えた後、しばらく言葉が出なかった。今回は感想をあげるのを避けようかとも思った。でもそれだと、なんだか逃げている気がして、そうだ、少し間を置こうと。外に散歩に出かけた。暮れかけた近くの防波堤沿いを歩いた。

イヤホンから、事前につくっておいたプレイリストを流す。心地よい女性ボーカルの曲が次々と耳の中をとおりすぎる。

ふと、留まった曲があった。中村佳穂さんの「そのいのち」。心のヒダを静かに通過する。声が、音が、丁度いい。頭と心の混沌がまた、静かに整えられていく。

「そのいのち」。小説の彼女たちにも、自分たちにも、生まれ持った「いのち」がある。

果たして「いのち」とは。生きる価値とは。なんぞや。歩きながら、なんとなくそんなことを考えた。

そういや最近、小説も音楽も、女性の書く物語がとても好きだ。西加奈子さん。辻村深月さん。羊文学。Kitri。カネコアヤノさん。中村佳穂さん。

生々しさ、というか、一見綺麗に見せてる中に、混沌とドロドロとした、マグマの様な「生」への渇望が垣間見える。男性の書くものは、もっと「淡々」と「整理」されている。そのどちらとも、その時々で、必要だったりするのだけど。

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82年生まれ、キム・ジヨン (単行本) https://www.amazon.co.jp/dp/4480832114/


友人(女性)からの紹介で知り、読みました。友人は、同級生の男性の感想を聞きたいとのことだった。率直な感想は、先にも書いたとおり、「何も言えない。」だった。日本人で1983年生まれ(早生まれなので82年生と同級生)の自分は、年齢が主人公とほぼ重なる。(韓国は満年齢だから実際は1歳違いなのかな?)リアルタイムを共有できる。だからこそ、主人公の歩みと自分自分の歩みを照らし合わせながら読むことが出来た。

恐らく、日本にも、男性の自分には気付きもしないような、知らず知らず「男尊女卑」な場面があったのだろう(出席番号も男子が先、女子が後など)。大学の進学率や、自分たちの年齢が就職活動をしていた際にも、「男性の方が進学率は高く、就職も有利」といった話は耳にしていたほど、日常に数多く、それは残っていたのだろう。(正直に書く。「だろう」程度の認識しかできなかった。)

自分の職場にもそうした「しきたり」のようなものの残骸は、令和だ新元号だとやたら騒がれた今も尚ある。職員研修はなぜか男女別に分けられていたし、来客があればお茶を入れて出すのは女性。部長級は男性のみ。受付や広報担当は女性だ。それをどこか不自然だと感じつつも皆「そんなものなのだろう」と受け入れている。

小説の中で、夫が妻にかける言葉が沢山ある。男の目線からすると、これらの場合、なんと声をかけていいのか分からない。よく言うように、「慰めなんかいらない。ただ黙って話を聞いてほしい。」になるのだろうか。

ただ、夫婦である以上、議論は必要だと思う。我慢するよりも、お互いの意見を言い合った方が、結果がどうであれ後悔は少ない。「男は男。女は女。女が男の気持ちが分からないように、男は女の気持ちが分からない。」そう言い切ってしまうのは簡単だ。人は人。自分は自分だと言うように。

しかし、これまで女性たちが受けてきた無意識的な差別やハラスメントの被害を知ると、それではいけないのだと考える。自ら進んで「知ろうとする女性」にはその力があるとして、「『無意識に』そういうものだと刷り込まれるように『考える力』すら奪われた立場の女性」は、直ちにこの本を読むべきだと思った。

この本の帯に鳥飼茜さんが書いた推薦文がある。ショックだった。それが物語を読み進める間も、ずっと頭の中にあった。それも手伝って、他人事ではなく、また他所の国の話だけではないという意識で、最後まで一気に物語を読むことができた。

そのほかの推薦文も、女性は自分のことのように当事者として「内容」に触れているのに対して、男性はどこか俯瞰し「作品」として捉えていることがとても対照的で、この小説を象徴していると感じた。男性は「作品」として讃える以外に、書く言葉を安易には見つけることが出来ないのだろう。


読みながら、自分にとって身近な女性たちの顔が次々に浮かんだ。連れ合い、義母、母、親族、友人、同僚‥等々。そして自分の身の回りの彼女たちはどんな人生を歩んできたのか想像した。(自分のような男性にはそうすることしか今は出来なかった。)

同時に、この物語は、女性だけでなく、主人公たちと同じ時代を生き、これからの時代を生きていく人たちが知って考えなければいけないものだとも思った。


物語は最後、個人的に非常に衝撃的な終わり方だった。まさに「呆気なく」突然裁断されるように。しかしそれを「狙った」とか「小説的」だとは感じない。ある意味おぞましいほどのリアリティを感じた。

それだけ、この闇は深く、法や制度や歴史や人々の顕在する意識を紐解いていったとしても、どこまでも解決の糸口は見えないものだと思う。実際、この場ではこのように感嘆している自分も、職場で女性上司に叱咤を受ければ「何糞」と、男性上司とは違った感情を持ってしまうかもしれない。また余裕なく仕事や日常に追い込まれていった際には、思わず連れ合いに冷たい言葉を浴びせてしまうかもしれない。

そうしたふとした些細な場面での、心の揺らぎを見落とさず、慎重に進めて行けるか。「性別」だけでなく、「時代背景」「生き方」そのものを、改めて問い、一人ひとりの意識の変化が必要なのだと強く思う。

「差別」は、相手を見下し生まれる優越感から起こる。社会の「格差」が起こし生まれる闇は一層深まっている。突き付けられた物語の結末から、一体何を生み出せるだろうか。


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さっき外を歩いた際の、汗が冷んやり乾こうとして今、少し肌寒さを感じる。熱した体温は蒸気となり、身体を冷ましながら空気中に消えていく。

この想いもまた、消えてしまうのだろうか。しかし、これだけは忘れないように書き留めておきたい。

綺麗事のようだけど、何度でもそう思う。優しく抱き締めるように愛でたい。目の前の暮らしを。そっとそっと、愛するという気持ちを。

"光って光ってんだ 僕らが光ってるんだ"
"QUEEN SING A、QUE IN QUE IN!"

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