野田洋次郎さんが投げかけた疑問について RADWIMPS

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知らなかった。率直に驚いた、というのが感想だ。

私たちの世界には知らぬ間によくわからない区別がなされていることがある。その区別された中で少数派に分類された側の見解は、多数派には届かないことが多いのではないか。

理由として一番大きいのは、やはり多数派はそれだけ影響を受ける人数が多いわけで、その意見はルールを決める側に届く可能性が高いということだろう。これは自然なことで、違和感はない。

逆に少数派の声は届きづらい。さらに問題なのは、ルールを決める側に少数派の意見に関係する人がいないということが想定される。

今回のように中身は変わらなくともなぜか区分がされているケースなどは特にそう感じる。ルールを決める側も、あまり自分が関係なく、実感として分からない所は詳細まで詰めない(詰められない)。


少し飛躍した例えだが、、イギリス国籍の白人の方に、本国で人種差別を感じたことがあるか尋ねたことがある。返事はNOだった。日本に住んで、日本人からある種の偏見を持たれたことのある人でさえも、自国で有色人種を区別していることに気が付いていないのである(付け加えておくと、その方は聡明で正義感に溢れたまじめな人である)。

人は自分が多数派の中にいると、それ以外の人に無意識でやっている行為がどれだけの意味を持つのかは気が付けないのである。これはとても恐ろしいことで、仮に自分が少数派の中に入ったことを考えると。。頭が痛いだけでは済まない問題に直面することは容易に想像できる。

日ごろから小さな意見に耳を傾けていかなくてはいけないなと感じた投稿であった。

今回は発信力のある野田さんが発言したことで、様々な波及が望めるし、個人としてもこの不可思議な区別に納得のいく回答が得られることを願っている。

最後に余談を。

RADWIMPSはワンマンに行ったり、フェスで見たりと、何かと楽しませてもらっている。大胆さと繊細さを非常に高いレベルで持ち合わせている天才野田洋次郎と、それを尊重し、支える素晴らしいメンバーで成り立っているバンドで、そのチーム感にとても心地よい気持ちにさせられる。

最後に見たのは去年の横浜アリーナツアーファイナル。まさか当選するとは思わなかったが、今思えば参加できて本当によい思い出だ。あいみょんもロッキン以来の再会だったし、君と羊と青、会心の一撃はいつ聞いても素晴らしい。合唱曲である正解は、会場が一体となり、即興で洗練されていない生の歌声に自分でも驚くほど感動した。最後尾で見ていたこともあって、全体を見まわせたのだが、命の輝きがただただ美しかった。この種の輝きはプロにも出せないものだと思っている。あの場にいた皆さんに心から感謝を申し上げたい。


すべてはタイミング次第だが、やろうと思ったことはなるべく早くやっておくほうがよい。彼らがよく言う、次会うまで元気でな、死ぬなよ、という類のフレーズが、そのときはとても感動的なものとして受け止められたが、こんなにも別の意味を持つなんて考えもしなかった夏の終わりの出来事だった。

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