帰国編1
~コバンザメのシチリア滞在記~
3月28日にイタリアから緊急帰国し、半年経った。暑い夏が過ぎ以前と同じ日本での日常生活。シチリアでの7か月は今思い出すと夢の中の一コマのようだ。そしてあんなにも鮮烈だと感じた体験の数々だったのに記憶が薄れてきていると感じることがある。個人的にとても貴重な体験だったシチリア滞在7か月。記憶の糸をたどりつつ、やはり記録しておこうと思う。
武漢での新型コロナウィルスによる惨状が伝えられ始めた頃、シチリアからは東アジアは遠い極東の地のイメージがあり、現在のような世界的規模での深刻な状況になるとは想像もできなかった。
“コロナ”という言葉を最初に意識したのは2月1日の聖アガタ祭特別コンサートの帰り道。酔っ払いドライバーに面と向かって「コロナウィルス」と言葉を投げつけられたのが最初だった。中国人(アジア人=中国人)を侮蔑または警戒する雰囲気が広がり始めていることを実感し、次に何か言われたら冷静に抗議しようと思い始めたのもこの頃だ。
しかし日常生活ではこれ以外に特に不愉快な思いをすることもなく、2月3~5日の聖アガタ祭も感動とともに体験し、その後パリ、ブリュッセルも家族と問題なく旅行できた。2月17~24日はシチリア各地を日本から来た友人たちとたっぷり観光した。(下の写真は2月5日聖アガタ祭。シチリアらしい熱気にあふれたすばらしいお祭りだった。来年は開催されるのだろうか)
2月22日には北部の一部の街が封鎖されたが、シチリアではまだどちらかというと別の国での出来事のように感じるほどのんびりとした雰囲気だったことを覚えている。
2月後半から3月の最初の1週間は日本でのトイレットペーパーやマスクの不足、イタリア北部地方での食品の買いだめのニュースが気になって、個人的に地道にストックを増やしていった時期で、この頃はまだシチリアに残るつもりでいた。
少し危機感が高まってきたのは3月9日夜のコンテ首相による声明のあとかもしれない。声明では翌日よりそれまでは北部限定だった移動制限がイタリア全土に広げられた。カターニアでスーパーの入店人数制限が行われ始めたのもこの頃。そして12日より食品、薬局等必需品以外のすべての店舗が閉鎖された。それでも農業漁業県でもあるカターニアでは新鮮な食品の購入は問題なかったし、期限が4月3日までならとやや楽観的に捉えていた。
しかし感染者がヨーロッパ全土からアメリカにも広がりを見せ始めると、夫の夏までのスケジュールが次々とキャンセル。ヨーロッパに残る必然性がなくなってきた上、シチリア島内の感染者も増加し始め、カターニアはシチリアで最大の感染者数になってしまった。北部の医療崩壊のニュースを毎日見ていると、自分たちに何かあった場合イタリアの医療に身を委ねたくない気持ちにもなり、帰国を検討し始めたのだった。(2へ)
上は入店制限を始めたドラッグストア。マスクは3月上旬から品切れ状態。