#28「宝箱」
アスファルトに、黄色のBB弾が落ちていた。
最近、こんなもの滅多に見なくなったと思う。
エアガン遊びなんかは、時代に淘汰されたコンテンツの最たるものって感じが、まあ確かにするし。
小さな頃は遊具つきの集合住宅に住んでいたためか少し外を歩けばあちこちにその手の弾丸を見かけたものだが、住む場所が変わったにしてもめっきりだ。
幼い僕はこれを拾い集めていた。
基本的にはベージュとかピンクとかそれこそ黄色の、弾丸としての視認性を優先したのか単にお安いだけなのかとにかくさほど有り難みのない色の弾が多い。しかし時には赤や青や黒、あるいは少し大きめのものなどレアリティ高めの弾丸が見つかることもある。
砂場に埋もれていることも稀にあり、そういうときは宝を発掘した気分だった。
黄色のBB弾をそのまま通り過ぎたとき、自分に感じた違和感の正体が「それ」だ、と僕はすぐに気がついた。
BB弾の存在自体なんかじゃなく、それをスルーする自分自身ということだ。
***
いつまで持っていたかはもう定かでないが、僕の机の引き出しには、百均製のプラケースを用いた「宝箱」があった。
中は細かい間仕切りが敷かれており、元は恐らく手芸用ビーズとかそういうのを閉まっておくためのものだったのだろう。
僕はビーズの代わりにBB弾や状態の良いおはじき、プラモデルのパーツ、つやつやの石などを拾っては持ち帰り、洗って格納していた。
何に使うでもなく、たまに蓋を開けてはフフンとご満悦するだけの代物だったが、それは不思議と、自我が育つ小学生の頃になってもなお引き出しの中にあった。
この頃の遊びというのは、遊び方もそうだし、体の小ささもあって地面との距離がかなり近い。今でこそ数メートル先や空の方に目が行きやすいが、体が小さかった頃はとにかくアリや小石や側溝と仲良しだったし、砂の中には灰色や茶色だけじゃなく、時々透明で綺麗なのも混じっているということを僕は知っていた。
そのため古今東西多種多様な「宝」を見つけては、拾って洗って研究材料のごとく保管していたのだ。
大掃除をしても、引き出しの中身が増えても、宝箱だけは「それはそれ」として絶対的な不可侵領域を維持していた。
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