#40「モヤの時代」
先日、未明から晩までずーーーーっと雨、という日があった。
窓も、郵便受けやガスメーターの覗き窓や壁に至るまで、つるつるなものならその全てが尋常でない湿気で曇っていた。
当たり前だが、屋外にいても電柱や信号機、車は曇らない。
閉鎖空間に入った途端に曇るというのは、やっぱり湿気が逃げ場を失ってどうしようも無くなって拠り所を探した結果なのだろうか。
建物に入った時、四方どこを向いても曇りだらけの空間を見て「昭和みたいだな」と思った。
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僕ら平成生まれにとって、昭和はモヤの時代である。
80年代のライブ映像とかをうっかりYouTubeで見つけたりすると、大体がモヤがかったファジーな映像である。後述するが、大概リバーブも深めに入っていて、音すらもモヤがかっている。
それは画質の悪さというのももちろんあるのだろうが、意図的に曇らせている部分も往々にあると思う。
知っている範囲でも、90年代に入ってから岡村靖幸が出したライブ映像は画面比率を伸ばして全体をもやつかせている(これは当時自分の体型の変化を気にしていた岡村ちゃん自身によるカムフラージュだったなど諸説ある)。
当てずっぽ的に「101回目のプロポーズ」と検索すると、花嫁姿の浅野温子と武田鉄矢が路上で涙ながらに向かい合うシーンのキャプチャが出てくる。
やはり、もやっとしている。画質のローファイ感だけではない、演出された潤いのようなものがそこにはある。
これがいいとか悪いとかいう話ではない。
ただ、昭和の画質は何かが滲んでいて、それが僕にとっては昭和の象徴になっている、というだけの話だ。
最近、昭和のフィルム映画を4K HDRでリマスターした作品の広告を見たが、本当に現代で撮影したような色合いや鮮やかさになってしまうので腰を抜かした。
現にこの「101回目〜」のそのシーンを今の画質で再現したら、それはもちろん美麗でスタイリッシュだとは思うのだが、当時のあの映像の中にあった「もや」「にじみ」は確実に失われると思う。
そのにじみの中には、きっと視聴者のイマジナリーが多分に溶け込んでいる。
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音楽もそうだ。
昔、親に一度聞いたことがある。
「どうして昔の曲はお風呂みたいに響いてるの?」
親はなるほど確かにとは言いつつも、明確な答えはなく「なんでだろうね」で終話したと記憶している。
今の曲では考えられないほど深〜いリバーブが入っている曲が多い。
歌声だけじゃなく、ギターもキーボードも、ドラムのスネアなんかもわかりやすいし、場合によってはベースでさえも。
これが当時の音楽業界のトレンドだったのか、あるいは技術的な制約だったのかはわからないが、聖子ちゃんを聞いてもユーミンを聞いてもお風呂、もといホール音響だ。
だからこそ今、少し露骨なくらいリバーブをかけてみたり、それらしい音色を使ってみたりすると、すぐさま「レトロ風」「80年代風」となって洒落っ気がついてくる。
その全てを否定するんではないが、ちょっと安直過ぎやしないかと思ったり、あるいは別にコレはそんなつもりで作っちゃいないと思うけどなあ…というようなレトロが先行してしまった深読みやこじつけにも近い意見に出会うこともある。
ただ、レトロとかアンティークというのは、現にその時代を生きている人には使えない言葉なので、今の我々が使う分には別に何も間違っちゃいないんだよなあ、という不思議さもある。
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家電量販店に行くと、僕は今でも4K8Kという超高画質テレビに釘付けになる。
あれ、すごくありませんか。最初見た時は、もはや「本物の水槽かと思った」とすらも思わなかった。そこに漂う魚も舞う土埃も、すべて3DCGだと思った。
そのくらいくっきり、鮮やかで、ぬるぬるだった。
思うに、あれは人間の肉眼で捉えている世界の画質をもう超えている。
眼球よりも高画質。
人間が、自分自身に備わる映像技術をもって映しうるクオリティを上回るものを見せられてしまって、だから理解が及ばす、リアリティをむしろ感じず、釘付けになるのだと思う。
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