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3/26 刺激がある「ばしょ」を探し求めて


大手町

久しぶりに大手町に足を踏み入れた
夏のインターンで数ヶ月通ってその後アメリカに帰って日本帰国してから
全く足を踏み入れなくなってしまった
大手町に来ると夏の仕事での感じたことが蘇ってくる時がある

ある会社でインターンをしていたのだけれど
その会社で「私は将来こういう社会像を成し遂げたいんですよ」と話をしてみたら
普段はよく話す人なのに「すごいね」だけで会話が終わってしまった
こちらとしては結構勇気を持ってそういう野望的な話をしてみたのに
いつも通り同じ熱量とかで返してくれると思ったのに
いきなり線引きをされて、「あれ?」とか思った。

それがあった時に

あ、この会社にいたら自分は今抱いている成し遂げたい社会像なんて忘れて日々忙殺していきてしまうぞ、これは自分がやりたい本意じゃない、危ないぞ、自分が大切にしている価値観やアイデンティティがいとも簡単に壊れるぞ
なんて思った

今日は、そういえば、初めて対面でお会いした人①

今日お話しした人が言っていたのでとても印象に残ったのがあるのだけれど
「同じ熱量を持っている相手だと恥ずかしげもなく心のうちとか成し遂げたいことまでスッと話せるのかも」みたいな趣旨をおっしゃっていてなるほど謎が解像度上がったなと感じた

成し遂げたいことを友達に話してみたんだけれど

成し遂げたい社会像を言語化してからというもの
友達とか
普段話してて知的好奇心的に面白い相手に対して
そういう話を時々してはみていたものの
『この相手に話すの勇気いるな、でも言語化し続けるのは大事だからな、自分が決めたことだし伝えてみよう、よし、いくぞ!』
などと意気込んでみた時こそ
相手の反応が「思った感じじゃない」ことが多くて
今まで仲良かった友達に対して
今でも話すのだけれど、それでも
なんだか表面的な友情になってる気がするなと一方的に感じてしまって

これからもっと貴重:同じ熱量と行動力で壁打ちできる人

ああ、これが環境を変えはじめなきゃいけない時で
同じ熱量を持って壁打ちできたり相談できたり話し合えたりする相手は今後もっともっと今まで以上に大切になるぞ、と思ったりもする

今日は、そういえば、初めて対面でお会いした人②

昨日に引き続き
今日も話がとても面白かった
と言いつつ永遠と長話をかましてしまった気がして恐縮しはじめたのだけれど
それだけ自分自身も話しているのが楽しかったのかもしれない

成し遂げたい社会像とか
その成し遂げたい社会像に向けて10年後、20年後のマイルストーンをもとに
1年後、2年後、3年後、5年後、10年後までのマイルストーンを置いて
それに向けて今年やるべきことをマンダラチャートで
64個に分けて書いているんだけれど
そういうところを見せると半分くらいの人には引かれるか無関心で
半分くらいには「すごいね」と言われて終わってしまって

残り(まあ半分ずつで残ってはいないのだが気持ちとしてはそのくらい少ない残り)の人たちの中でたまに
「俺もキャリアビジョンとか考えたいから壁打ちしてほしい」とか
「どうやってビジョン立てたのか教えてほしい」とか
「そうやってちゃんと行動に移していることを尊敬している」みたいに
言ってくれる人がいて
そういう人がいることに僕はとても嬉しいなと思っているし
そういう人に対してはすごい熱量で嬉しくなってしまって

永遠と話し続けている

今日もそんな日だったのかもしれない
今日はなんだかうまく相槌を入れてもらって
時々経験談をお話しいただいて
それに合わせて僕が色々とっちらかって話してしまって
あれ、これは僕にとって刺激のある1日で、何かしら記憶に残る1日だけど
相手にとってはただ意味のわからない話を聞かせられてる時間になってないかな
と少し心配になったけれど
定期的にキャッチアップしてくださるみたいでとても安心した

友情だけはギブアンドテイク
友情は無償であるというのは悪しきロマンチシズムだ。何かを与えるにしても、与えられるにしても、一方的なら、たちまちそれは消えてしまうだろう。

絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ p62-63

見城徹:僕は、こいつと友達になれそうだと思った人に、必ず言う言葉がある。「友情は、ギブアンドテイクだからね」自分を刺激してくれない友達や、新しい地点に連れていってくれない友達は、僕はいらない。(中略)確かに友情は、利害損得ではない。しかし、だからといって、馴れ合いや腐れ縁はもちろん、ただ心地いいだけの関係も僕はいらない。この人と友達で良かったと思えるのは、単なる損得では測れない”ギフト”を得られた時だ。それは精神的なものであることもあれば、現実的なものであることもある。どちらか一方が得るだけだったり、助けられるだけだったりする関係は長続きしない。
仕事や恋愛は見返りを期待せず、圧倒的努力をすれば、その結果、時として実りがある。しかし、友情は常に「与えるー与えられる」の関係があってこそ成り立つ。それが切磋琢磨ということであり、お互いを成長させるのだ。

絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ p64-65

自らが付き合う相手を選別する
同時に相手にも選別される
応え続けるため、面白いことを追い続けるため、知的好奇心を追い求め続けるため、努力をやめてはならないのだと実感する。

藤田晋:(前略)自分一人で高いモチベーションを保つのは殊のほか難しく、人はみな、友人から多大な影響を受けます。(中略)僕も社会に出てからは、付き合う人を選ぶようにしました。三木谷浩史さんや堀江貴文さんなどがそうです。
僕は、彼らがまだ何者でもない頃から親しくしていますが、自分を含めて共通していたのは、志が高かったこと。お互いに切磋琢磨しながら、いい影響を受けたり与えたりするうことができたと思っています。(中略)
友達というのは、ある水準を共有し合うものなのです。
しかし一方で、「友情だけはギブアンドテイク」というのは、すごく寂しい話でもあります。(中略)多くの人は抵抗を感じるかもしれない。
僕にも仕事とは関係ない、ただの友達と思っている人たちがいます。でも実際には、やはりお互い、何らかの形で良い刺激を与え合っているのです。そうでなければ目線が異なり、話が合わなくなってしまします。
(中略)いつも勢いのある人が集まっています。僕もその中に加えてもらっていることは光栄です。でもこれは僕にとって、プレッシャーでもある。見城さんに見向きされなくなることは、僕に付き合う価値がなくなったと言うことを意味するからです。
(中略)見城さんは、僕が落ちぶれても友人でいてくれるかもしれない。仮にそうだとしても、それはたまたまでしかありません。ビジネス社会で生きる者同士であれば、そんな甘えた心構えは捨てるべきだと思います。

絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ p66-67

自分がとても刺激を受けている時に
あれ、この一瞬は相手にとっても有意義な時間になっているかな?
などと気になってしまう

絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ

見城徹と藤田晋の共著「絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ」にもあるのだけど、友情は結局はギブアンドテイクで、ギブアンドテイクが無くなった時に相手はもしかしたら仲良くし続けてくれるかもしれないけどその優しさに甘えることはいけないことだし長続きしないこと。
これをちゃんとわかっていないと、気がつかないうちに自分にとって魅力的だったり刺激を受けられたりする人がいつの間にか自分の届くところだったり関係から離れていってしまう。
これを世間では、「あの人は成功したらもう話さなくなってしまった」とかいうけれど
いやそうではなくて、
「友情はギブアンドテイク」
同じ熱量と同じ行動力と同じ知的好奇心ベースで話ができないと、
相手にとってはとてもつまらないし味気ないしやるせない時間になるし
当の本人はその相手が興味を失っていることに全く気がつかないので前述の
「あの人は成功したらもう話さなくなってしまった」に繋がっていくんだろうな

僕自身も、僕自身が話したい、刺激をもらえる、壁打ちしたいと思える相手にも
そう思い続けてもらえるように
日々の努力をより一層引き締めて真剣に生きようと思った

世の中の成功の大半は
行動を起こしそれを続けたことにある
というのはこないだの美容院の店長の方が言っていたことだけど

それを実際に自分で経験した人が返す相槌はとても心地よく

自分の野望をもっともっと話したくなる

自分の武器は
知的好奇心と圧倒的努力と執着心・泥臭さと行動力のハードルの低さ

これからも頑張ろうと刺激をもらった1日でした
また定期的に壁打ちさせてもらえるように頑張ろう

参考図書
絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ

#日記


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