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ささやかなきっかけでまっすぐ立てたような気がした

10月はとても忙しく過ぎていきました。
娘たちのマラソン大会、太鼓の発表、次女のバトンの大会…
コロナ明けの今年の、ここ数年とは比べ物にならない行事の数。

なんとかカレンダーに並べられた行事が終わるとほっと力が抜けたのか、体がずーんと岩のように重くうまく動かせなくなってしまった日がありました。自分の体だというのに自由が効かず頭や肩のあたりのバランスが取りにくく不安定さを感じていました。

絨毯に溶け込むように横になっていると、ふと子ども達のスケジュールと体調管理に暮らしの比重を傾け過ぎていたかもしれない‥と思いました。
気が付かないところで力み過ぎてしまうのは昔から手放したい私の性格で、程よい力の抜き方というものを身に付けたいと思うこの頃です。

さあ、動かない体をどうしよう。
この体の現状は自分の気持ちの疲れから来ているものだということは分かっていました。
何か切り替えのきっかけになるものが欲しい…

窓越しには隣の家の屋根との間に小さくでもくっきりとした秋晴れの空が見えています。太い刷毛で一気に塗ったような迷いのない青。今日は晴れだったんだ…
こんなにきれいで見事な青空がなかなか視界に届かないくらい目線が下がっていたんだな‥

「歩くか…」

あまり考えずにカバンだけ持って近くのスーパーを目指すことにしました。
車では決められた道のりでしかたどり着けない場所も、自分の足であれば好きな道を好きなタイミングで選んで進むことができる。こっちの道にしようかな、あっちのいちょうの木が見える方に行こう、と大通りから小さな脇道まで自由きままに進みます。
まるで、猫のように。
好きな時に好きな道を選べる自由さが身に染みて楽しく思えました。
「気持ちいい晴れだね~」
と見知らぬおじさんにかけられた言葉も何だかうれしかった。自分も感じていた気持ちよさを共有できてうれしかったのと、声をかけてもいいかなとおじさんが思えるくらいには自分の表情も悪くなかったかもしれないな、と回復ぶりが手に取って分かったから。

川沿いの砂利道。
不安定な足元の感覚も
だんだん心地よく。

車に積めるほどの食材を買えたわけではないし徒歩では時間もかかったわけで、効率的な行動だったとは言えません。
でも、この非効率的な時間は自分のために流れた時間。息を吐くたびにここ何週間かの心配や不安を手放し、かわりに全神経で光やあたたかさや風を感じ、久しぶりにまっすぐ立てている気がした時間でした。

子ども達に対しての考え方も振り返りながら歩きました。
家族として応援や食事などのサポートはこれまで通りするけれど、共に緊張しすぎて揺さぶられてしまうのは背負いすぎといえるのかもしれないな、と。言ってしまえば、なるようにしかならない。大会前に体調を崩した3人がいつ回復するのか、満足いく結果になるのかなんて誰にも分からないのだから、親としてできることを遂げたらゴールまでは子どもたちが道を選んでいけばいい。
たとえ毎日全力で練習してきたのに本番に出られないという道を選ばざる負えなくなったとしたって今回私が感じていたみょうな焦りだけは、子ども達のためにはならないのでしょう。家族だけれど、娘だけれど私とは違う人格なのだから、と考えさせられました。

伴走も並走もせず、沿道の応援団の心意気でいたいものです。
いややっぱり、応援団長の座は譲れない、かな。

三女と長女
夜中にパシャリ

今日は日記のような投稿になりました。
急に冷え込みそうな東北ではあと何回秋晴れと呼べる青空に出会えるか。
体調に変化が出やすい季節の変わり目です。ちょっと止まって深呼吸する時間の中で自分の足でまっすぐ立てていることを実感できるといいなと思います。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。


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