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【「お母さんのせいじゃない」】


「自由と責任の両輪」

子どもを信じることで
母の気持ちがラクになった

そんな実母の話を聴いた時、

直後に母から出たのは、
「お母さんが悪かったなぁと気づいたんや」という言葉だった。

咄嗟に湧いた気持ちが
"お母さんのせいじゃない"
でした。


私は
母が自分を責めているのをどこかで気づいていたけど、気づかないフリをしていたんじゃないかと感じた。


自分の親が、育て方を間違えていたと
自分を育ててくれている親が感じている

ことは、見たくなかったんだと思う。


その時気づいた。

今子育てに悩むお母さんたちからの相談を受ける仕事をしている中で、

いつも思っていることが
それこそ
「自分の子育てこれでいい」
と思えるお母さんが増えて欲しい

ということだった。


お母さんのせいではぜったいにない

お母さんのお母さん のせいでもない


ただやはり
親というのは、
「子どもを立派に育て上げる」みたいな
大きな責任を感じているが故に、

自分の育て方が合っているか、間違えているかを指標にして
子育てをしているのはあるんじゃないか。


ですが、
育て方が合っているか、間違えているかの
結果は、結局は正解はなくて

これまでの社会の風潮の中で、

「正解」のように思える「理想像」としてつくられてきた、「結果の姿」に近づけることこそ、
"間違えていなかった"と言えるんだと

私たちは信じ込んできたのかもしれない。



あたりまえだけど
私たち人は、考え方も感じ方も、思っていることも人それぞれ違う。

同じであるわけがないにも関わらず
「同じであること」=「ふつう」
という図式のもとに
生きているのかもしれない。


少しでもよその子と違う部分があれば不安になり、
この年齢ではこれをするはずなのにやらないわが子におかしいと感じ、
こんな時はこうするべきだと思ったことができないことに焦り、

「ふつう」の「枠線」にいることこそ
間違いではないと信じ込んでいるのかもしれない。



それにより
お母さんたちが、自分の子育てを「これでいい」とは思えないのだとしたら、

個性やその人自身の持ち味こそが
これからの時代で必要になるということを

新しい概念として、知っていくのが

お母さんたちが
自分のせいだ、と感じて
わが子を「ふつう」にすべく一生懸命に頑張り、
親子の"ボタンの掛け違い"を生むことを

なくしていくのではないかと感じている。

そして
それを解決していく糸口として
私は今の活動を続けているのかもしれない。
  
#しあわせになれる子育て自作自演モデル


そのための取り組みのひとつとして、
子どもの時期から「自分の意見を持つこと」「自分で考え決める力」「他者との違いを認め合える目」を育てるための
関わり方を伝えている。


兎角日本人である私たちは、
「言われたことをやれば安心」という意識と
「自分の思いを表現する」ことの難しさを
感じたまま、大人になっていることは多いと感じている。


ものごとを
自分で考えて決める という経験をする機会が、あまりにも少ないのではないか。

自分で考えたことをやろうとしても
(「ふつう」の枠からはみ出るから)
「そんなことしちゃいけない」
「言われたようにやってればいい」
と言われた経験がない人は、少ないのではないかと。

それを、
"自分で考え決めたことをやり遂げる"
という経験を積み重ねていくことで、

主体性が育ち

「自分の意見を持つこと」「自分で考え決める力」「他者との違いを認め合える目」が養われ、

自分の「表現」をする経験を
いくつも繰り返すうちに、
その自由な「表現」と共存している、「責任」も育つのではないか。


誰かがこう言うから、、
あの人はこうやってたから、、
という、「誰かのせいで今こうなっている」と思う他者責任ではない、

自分で考え決めて行動する
その先の「責任」と、

その「責任」の結果さえも
自責にするのではなく
次に活かすことができる、"ひとつのツール"にすることも、

「自分で決められる」という経験を重ねたからこそ可能になるのではないか。




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