【子育てと母親のリアル】

親子が幸せな時間で満たされることを願って


今日からちょっと書き留めていきます。
何を?

「子育てと母親のリアル」というタイトルにしましたが、ここに書いてあることを読んだ世の中のお母さんたちが、

「子育てって幸せなのよね!」
「子どもって愛おしいのよね!」
「この子の親になれて幸せ!」
「生まれてきてよかった!」

と受け取ってくださり、
世界中の親子が幸せな時間で満たされることを願って

私が親子関係コーディネーターとして、この3年間の間に関わらせていただいた

子育ては大変、しんどい、辛い、苦しい
と悩んでいたお母さんたちの、子育ての概念が変化した軌跡を綴ります。




子育てをしている自分を愛おしく感じ、
子どもを愛おしいと感じ、
自分と子どもに優しい眼差しを向けるように変化が起きたストーリー


発達障害の診断や特性があったり、不登校の状態にあったりする中でも
「この子は大丈夫!」「なんて逞しい子なんだ!」と
心から感じて子育てが幸せに変化したストーリー


お母さんたちの”あり方””生き方””人生観”が変わっていくことにより
子どもたちにも呼応するかのように
自分で考えて行動する、主体性が育っていき
生き生きと”自分らしく”生きはじめたストーリー


どこまで、どんなふうに綴っていけるかは
今の段階では正直分かってません。
が、

この書き留めたものが必ず
世の中のお母さんたちの子育ての概念が変化するきっかけになっていくんだ!という

根拠のない確信だけはあります!!


というのも、
実際に、私がSNSやインターネット上からお伝えしている〈子育ての概念〉を見つけてくださり、
その概念を知って、子育てに取り入れいかれたお母さんたちが、

「子育てしてる自分が好き」
「子どもがただ愛おしい」
「子どもをただ可愛いと思える自分が嬉しい」
「子どもがやる気になった」
「不登校の子どもが動き出した」
「子どもが自分で考えて行動することが増えて主体的になった」
「子どもの自己肯定感が上がった」
「子どもにイライラしなくなった」
「親子関係が幸せな時間に満ちてる」
「親子関係だけじゃなく、パートナーシップも良好になった」
「人間関係で悩むことがなくなった」

などなどの変化を実感されているからです。

そのお母さんたちから
「りつ子さん!もっとこの考え方広げなきゃダメですよ!」
と言われている始末。


割とSNSでは毎日のように子育てのこと発信しています。

〈しあわせになれる自作自演モデル〉という子育ての概念が180度変化する考え方も講座にしてお伝えしてきてます。


ただ、お母さんたちへのお届けの仕方が上手ではないです。
どうも、必要な方の元に届きにくい。


だったら、
子育ての概念が変化したことで、

子どもや夫、他者との関係性がすこぶる良くなり
子育てや親子関係、人間関係の悩みから解放された方々の
ケースや実体験をご紹介してみよう!


という境地に至ったので
書き綴ってみることにしました。



興味がある方はお付き合いいただけたら嬉しいです。


が、その前に
私のことも書いておこうと思います。

そもそもなんで私が今

親子関係コーディネーターという肩書きを自分でつけてお母さんたちの子育ての幸せを願う活動をしているのか?

看護師という天職につきながらも、小中学校の保健室の先生もするという、現場体得型の経歴が、親子関係の幸せ構築になぜ役立つのか?


その経緯なども含めて書かせて貰った方が
根拠のない確信の信憑性があるのではないかと思い

以下からスタートしていきます。


親子関係コーディネーターまでの軌跡(看護師編)


「子育て」「育児」「親子関係」
このワードに直感的に反応する人はどれくらいいるのでしょうか?

かれこれ20年以上、私はこのワードとともに生きてきました。

というのも、
「りつ子キョロキョロしないの」と母親から言われていたくらい、幼少期から人の観察ばかりしていた私は、

「あの人は何を考えて今それをやってるんだろ」
「この人はどんなことを感じて今その言葉を話したんだろ」
「この人はどんなふうに育てられたんだろ」
「この人は朝どんな時間を過ごして、今から誰に会うためにどこへいくんだろ」

と、そんな感じで

直感的に自分の目に飛び込んできた人の
動作、行動、行為、言葉、目の動き、仕草、姿勢、存在の仕方などを見ては
1人脳内会議を繰り広げて、勝手に分析(妄想)しては

「めちゃくちゃ幸せなんだろな」
「ちょっとイライラしてんのかな」
「なんかいいことあるんだろな」
「どうしたらこんなふうに人のこと思いやれる子に育つんだろ」

みたいに、

自分のことのように一緒に人の感情を勝手に味わい
1人満足する、をしていました。


じっと見つめたら怪しいじゃないですか笑
だから、見てないように見る、みたいな笑


仕方ない、観察するのが好きなんで。


でも、その人を観察することに対する興味関心(執着笑)は
深掘りしていくと

「あなたのことをもっと知りたい」
「あなたという人のことを知りたい」

「何が好きで何が嫌いでどんな時にどんな感情を抱くのか」

共有して分かち合いたい
感じ合いたい

そんな特性があるからなんだと思っています。


その人の内在している
唯一無二の存在価値や
どんなことを大切に思い
どんな時に夢中になってキラキラするのか

そういう「人」の純粋な本質の部分に触れている時間が
たまらなく好き
なんでしょうね。



看護学校の卒業アルバムから



(昭和感満載ですが)”人間ウォッチング”好きが講じて、
人の観察がその仕事の命、要でもある
〈看護師〉という職業を、気づいたらもう27年も続けていました。


看護師人生最後の日の写真

人の観察が仕事になる! 
私にとっては天職ですよね!


堂々と人目も憚らず、
目の前の人のことを、行動を、感じてらっしゃることや考えてらっしゃることを、人生の軌跡を、

〈看護計画〉という名のその方の目標達成に向けて、
観察して分析して
1人の人(看護師)として関わらせていただけるんですから。

水を得た魚のように、看護師の仕事をさせていただきました。

大好きな「人」に関われる、触れられる
そして
人生の1ページであるその瞬間をともに過ごさせていただける。



看護師と一言で言っても、業務内容や働き方は千差万別です。

私はというと、病床数約700、診療科目37科ある地元の大きな拠点病院に就職し、オペ室と小児科以外の救急看護や病棟看護を経験させていただきました。

産休育休も含めると14年間(のちに再就職して3年)はその病院で看護師をしてきました。

そのまま子育てしながら働き続けることしか考えていなかったのですが、13年目に転職のきっかけになるきっかけがありました。


当時2歳の娘が、いわゆる”爪かみ”をしていたんです。

あちゃー、三交代制勤務で夜勤は月9回、寂しい気持ちにさせちゃってんのかもー

と”ちょっとだけ”思いました。 それも一つの転職の理由。
(2歳上に息子もいますから、子どもが理由ではないことは確実)

多分それだけだったら働き方を変えることはしなかった。



じゃあなんで働き方を変えようと思ったのかというと

「大好きな仕事をしているにも関わらず私が笑ってなかったから」

でした。




産休前に配属されていたのは、外科の急性期病棟の3年間とICU(集中治療室)に5年間。

急性期や救急看護に携わり、夢中になってのめり込みました。認定看護師になろう!とまで思ったくらい好きでした。

何が好きかって、
特に救急では1人の患者さんにじっくりと関わることができたこと。


外科病棟には術前術後の患者さんだけでなく、癌の末期の状態にある患者さんも入院されていました。

その病棟ではたくさんの患者さんとの出会い、別れがありました。

新卒から3年間を過ごした中で、食事に連れて行ってくれた方、お家に呼んでくれた方、プレゼントを送ってくれた方、文通をしてやりとりした方、いつも優しく声をかけてくれた方、

その方たちとの時間
看護師として、1人の人として
言葉を交わして笑い合って。
出会って数ヶ月なのに、
もう会えない状況がやってくる、なんていう悲しいこともたくさんありました。

まだ新米の看護師の私に大きな愛を渡してくださった方々がたくさん。

みなさん当時で60代から90代の紳士淑女の方だったから、私の知らないこともいっぱい教えていただくことができました。


そういえば、看護師の私にとって主任看護師に言ってもらった言葉で嬉しかったことがあった!

新卒のころに「私の看護観」を書いて提出する課題があったんです。
そこに書いた文章を読んだ当時の主任さんが、「〇〇さん(旧姓)の看護観読んで、実は感動したのよ。あなたは素敵な看護師ね。」と数年後に教えてくれて。


何を書いたかというと

「目の前の患者さんを、病気になっている人、病気で今この場にいる人というようにではなく、その人を全人的に捉えて看護ができる人でありたい。
その人が歩んできたこれまでの人生の軌跡を、一緒に歩かせていただくような気持ちで、その人自信を丁寧に捉えて看護をしたい。」

この看護観は27年の看護師生活でずっと持っていたことで
今のこの瞬間も根本的には変わっていない人生観の一つです。



ちょっと話がそれそれですが、
人にじっくりと関われることが幸せな人なんだなと
私の生態が見えていたら嬉しい。


話はICUに戻ります。

ICUは大きな手術後の患者さんや、心疾患、脳疾患、2次的なリスクの高い方、交通外傷後の方など、集中して医療的管理が必要な患者様のいらっしゃる場所です。


集中力と観察力と分析力と臨機応変に対応できるスキルと主体性と行動力と即戦力となれるマインド、もちろん多岐にわたる診療科の知識が必要になりました。

そのICUでの看護師をしている中で
その目の前の患者さんの身体的な看護はもちろん大切ですが、

1人の人に関わるすべてのことに時間を存分に使って注力できること
これが私にとっては何よりも幸せでした。

忘れもしない患者さんの1人に
生後30日でおそらにかえったKくんがいます。

生後すぐに搬送されて緊急手術。術後はずっと機械とチューブに囲まれていました。
母親であっても面会は一日数分数時間のICUです。

お母さんが面会に来られるときに、いかにKくんが辛そうに見えなくできるか?そんなことをずっと考えていました。



術後の病態管理はもちろんですが、
たくさんの機械やチューブがKくんの存在以上に目立つことがないように、チューブの一本一本を丁寧にしつらえたり、タオルやバスタオルを駆使して不自然感なく掛け物にしたり。

面会に来られるたびに、

いるかいないかわからないように
でも看護師に話しかけたくなられたら、すぐにお答えできるように
という意図を持って

お母さんの近くに存在するようにしてました。

当時24歳。本当にいろいろお話ししました。


生まれて30日目に、たくさんの機会やチューブが外されました。
その時にようやく
お母さんは初めてKくんを抱っこすることができました。


我が子を初めて抱いたのが
天に召されるときという
このお母さんの人生の瞬間に
私がこうして存在している意味はなんだろう

そんなことも感じていました。


お母さんは初めて抱いたKくんにいっぱいお話してらっしゃいました。
「K、ありがとう」
という言葉だけがしっかり私の耳に聴こえてきました。



看護師をしていると、死生観が強くなるなと感じます。
なんのために生きて、どう終わりを迎えるのか。

私の四半世紀は
終わりを迎えるその時までを
どう生きたいのか、



これから先に出会う人たちと一緒に
せっかく生を受けた命を、時間を
なんのためにどう生きるのかを真剣に考えていくための

月日だったのかもしれないなと、今この瞬間には感じています。



さて、「大好きな仕事をしているにも関わらず私が笑ってなかった」
だから働き方を変える決断をした話に戻ります。

私のライフイベントとして結婚、妊娠、出産は、ICUに配属中、
産休育休もいただいた1年間の後、配属になったのが整形外科病棟でした。


整形外科病棟では、手や足の術後の方や日常生活援助が必要な方が多く入院されています。ナースコールは一日中なりやみません。

1人の方の排泄介助をしている最中にもナースコールは鳴り響きます。


当時PHSとナースコールが連動していたので、1人の方の介助をしている最中にもずっとPHSが鳴り続けます。

介助をしながらも、PHSを顔と肩に挟み
「はい、行きますね」「はい、ちょっと待っててくださいね」「はい、またすぐ行くので」

って言ってる自分が
めちゃくちゃ嫌でした。

じっくりと1人の人に関われないし、いつも「待ってください」と言わなきゃいけないことが当時の私にとってはストレスになっていたんですね。


ある日、ナースコールが鳴りナースステーションから出ようとした時、
入り口にあった鏡に映る自分が目に飛び込んできました。


「あ、笑ってない、、、」


一旦リセットしよう、そう感じた瞬間でした。


と同時期に、当時2歳の娘が爪かみをしていたこと

もう一つは
通勤途中に交通事故を起こしてしまったこと。

当時子ども2人を地元の保育所に預けてから、車で40分ほどの病院へ通勤してました。
(それまでは院内の保育所に預けてたから問題なかった)

保育所が開くのは朝7時半。
勤務開始の申し送りが始まるのが8時半。

どう考えてもギリギリ!
申し送り前に患者さんの情報収集してから仕事につく
これが看護師の当然の心得。

保育所に放り込むように「お願いしまーす!行ってくるねー!」と子ども2人を預け、猛ダッシュで車に乗り込み、運転する。

4月のある日、新一年生になった高校生と接触事故をしてしまったんです。
幸い高校生に怪我はなく、でもやっぱり心理的な打撃は与えてしまった。


その事故の後からは、高速道路を使って通勤することにしました。
焦らなくてもいい方法だったから。


でもです、やっぱり
「自分が好きな仕事やってるのに笑ってない」
「子どもが爪噛みしてる」
「高速道路詰まってまで通勤する」

これはなんか違う!と思い始めていて、
大好きなお友達から
「そんなに頑張らなくていいんじゃない?」
という言葉をもらったことが背中を押してくれました。


今年度で退職します
と看護部に報告、決断しました。


ソシタラです! 

退職して、看護師としての新しい働き方をしていこう!
と決めた2週間後くらいに、

なんか頭ツルツルする部分があるぞ?と気づき
夫に恐る恐るたしかめてもらったら、なんと
  
何箇所もできていた円形脱毛症!!


どうも、「ストレスになっていたことから解放されると脱毛症になることがある」らしく、

まさに過渡期だったんだー
これ以上頑張ってたら脱毛症どころじゃなかったかもー
と、

私、何かに護られている?をうっすらと感じたのでした。



看護師をしてきた27年、たくさんの人に出会うことができました。

「人」の心理的、身体的、社会的な側面を、観察分析させていただくという貴重な体験を、お仕事を通してすることができました。

自分の特性と好きなことが講じて、この27年看護師をしていたことで、自分の中に「軸」となる哲学が生まれたことは明白です。

どんな時に「人」はどんな気持ちになるのか
何を思い考え感じて「人」はその行動をしているのか
なんのためにどう命の時間を使うと幸せなのか


私が実際に体験し、体感してきた中で受け取ったものを

「人」との関わり合いに
子育てに、パートナーシップに
多くの人が活かせるような「形」にして届けることができたら嬉しいです。



今日はここまでです。


【子育てと母親のリアル】では

これまでご相談を受けてきたお母さんたちの「子育て」「パートナーシップ」「人間関係」「学校の先生との関わり」が

どのように、なぜ変化したのか?を

見てくださる方の「今」にもお役に立てることを願って
修正加筆しながら書き綴っていきたいと思います。


世の中の親子が幸せな時間で満たされることを目的に。


【書いてる人】


大西りつ子((おおにし・りつこ)
 
1974年生まれ 
親子関係のしあわせ構築・子育て専門家
現場での実体験から体系化した、親子関係の改善と
子どもの主体性を育てるメソッドを構築し提供している。
子育て観が180度変わり子育てが楽しいと実感する
保護者が続出。

8年間でのべ2000人の親子の相談実績。
机上の空論ではなく、現場での実体験をもっとも大事にした観点からのアドバイスは、子育てがしんどいと感じ悩みを抱える保護者にとって、新たな視点と気づきを与えている。
 
看護師経験26年/保健室の先生9年。救急の現場でリストカットを繰り返す思春期青年期の子どもとの関わりをきっかけに、子どもの行動心理への興味を持つ。36歳で大学教育学部に編入学、養護教諭の免許を取得。県内小中学校で児童生徒の教育に携わる。
 
学校現場では1500人以上の児童生徒の心理的課題や様々なケースに養護教諭として関わる中で、保護者への心理的安定の必要性を実感。特に発達特性がある子に育てにくさを感じて悩みを抱える親の多さを知る。

保護者への子育てに対する気持ちが楽になるアプローチができる立場としての実績を積むため、放課後等デイサービスでの療育事業に携わったのち、発達クリニックで相談員として勤務し保護者や思春期の子どもの相談を受けた実績を持つ。組織の中からの保護者への介入の難しさを感じ独立。現在に至る。








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