ART-SCHOOLと共に生きる

21世紀の始まりと共に音楽シーンに突如現れたオルタナティブロックバンド、ART-SCHOOL。
彼らが集まって音を鳴らし始めた2000年、僕はまだたったの1歳であった。

音楽を聴くという概念があったかすら怪しい幼児期、親の運転する車ではビートルズが流れていた。
小学生になっても、中学生になっても、廃車になるまで、その車はビートルズを歌っていた。
そんな中出会ったのが、BUMP OF CHICKENとNirvanaだった。
王道の平成中学生みたいなラインナップだが、Nirvanaを聴いている間は、自分が特別な存在であるかのように思えた。
時には、カートが抱えていた双極性障害がまるで音楽を通じて自分に伝染したみたいにディストーションを強くかけたギターを鳴らしたり、音楽を聴きながらふさぎ込んだりもした。

でも、そんな特別な中学生も、避けられずに歳をとる。

高校ではもちろん高校生らしくアジカンやラッドにハマった。
躁鬱繋がりかは定かではないが神聖かまってちゃんを狂ったように聴いたりもした。
カートやの子みたいに自分の中の衝動を曝け出したいと思っていた。
思っていたし、軽音部に入っていたからライブでは実際にはそうしていた。今思うと滑稽だったかもしれないが、僕はそんな自分を気に入っていた。
男子高だったから恥ずかしげもなく出来たのかもしれないな。

やがて大学生にもなると、特別な少年も少しは落ち着いた。
自分の姿を野暮ったく演出していたトレードマークの黒縁メガネを捨て去り、コンタクトレンズを付けるようになった。
薄っぺらいレンズを通して見える世界は、やっぱり薄っぺらく感じた。
大学は表面だけ取り繕ったコミュニケーションゾンビが蔓延るつまらない場所なんだ、と、そう思っていた。

でも違った。

多分僕は、自分が特別扱いされないことを受け入れられずに、子供みたいに喚いていたんだと思う。
今まで以上に個性的な面々を前に、自分の個性が押し負けて潰されていた。
一人っ子で育ち、人数の少ない部活ばかり入部して部長を勤めてきた自分にとって、その個性的な人達は脅威だった。
それ故に、僕は自分が"大勢"とはひと味違う人間だと誇示したがった。
空気の読めない発言をしたり、相手に今ひとつ通じないボケをかましたりは日常茶飯事だった。
軽音楽の部活に入って、なんとなく日々をこなしていく。一年や二年が経てば、後輩も出来て部活に馴染めるようにはなった。

それでも、誤魔化しようのない疎外感だけは僕の元を離れなかった。

どこか自分を端に追いやって世界が回っているような気がした。
多分それは事実だった。
50人以上の部員がいる部活では、全国から人が集まる大学では、自分のちょっとした個性など歯が立たなかった。
あっという間にみんなの注目は自分を離れ、気づけば僕は自分の中で宙に浮いた存在になっていた。
宙ぶらりんになって藻掻いても何も変わらなかった。
振り返ればなかなか精神面では苦しい期間だったように思う。
恐らく多くの人が思春期に片付けるような問題と、二十歳にもなって本気で向き合っている自分がいた。
そんな中、たまたま先輩から教えてもらったバンドに、僕は陶酔するようになっていった。

それがART-SCHOOLだ。

自分が生まれた直後に結成したバンドだ。BUMP OF CHICKENとは1年違いの結成だっただろうか。
中学時代にきちんとNirvanaを履修した僕は、初めて"水の中のナイフ"を聴いた時、「日本人にもカートみたいなシャウトが出来るボーカリストがいたのか」という驚き方をした記憶がある。
だから初めのうちは最もNirvanaっぽい"Love/Hate"を聴きまくった。バンド内に亀裂が入り疲弊したART-SCHOOLの乾いたサウンドが自分の心を掴んで離さなかった。
そして、それとライブ盤の"BOYS DON'T CRY"とをヘビーローテーションするようになった。

ずっと独りで疎外感と戦っていた自分に、同調してくれるような気がして。共感して、共に戦ってくれるような気がして。

次第に新しいアルバムも含めて多くの曲を聴いた。ARTは幸い、曲数が非常に多いから今でも全てはカバー出来ていないのだが、あらかた自分に合うサウンドのアルバムは聴き終えたつもりだ。
聴き終えたと言っても、音楽を聴く時間が減った今でも唯一聴くのはART-SCHOOLだが。

BUMPにもアジカンにもラッドにも成し得なかった、疎外感を抱く事の肯定を、ARTは、木下理樹は、いとも容易く遂げてしまった。

遅れてやってきた思春期を普通列車に乗って駆け抜けて来た自分を、ART-SCHOOLという快速列車が拾い上げ、すくい上げてくれた。

悦びも哀しみも淋しさや後悔も、ART-SCHOOLは許してくれた。共感してくれた。そんな気がした。

だから僕は、これからもART-SCHOOLと共に生きていこうと思う。
僕が人である限り、抱えきれず溢れ出してしまう感情は数知れない。
そんな濁った心に寄り添って、浄化するでもなく、吸収するでもなく、濁りを受け容れてくれる。

そんな音楽が、ART-SCHOOLなのだと思う。

はくだ

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