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家族の彼方 6

この本は中々興味深いものだった。地元の名士たちの活躍を明治から昭和にかけて詳しく書いてある。自分の知った地域やクラスメイトのこの地独特の苗字と結びついて、この土地の成り立ち、我が家系が立体的に浮かび上がる感覚。直接的な親戚ではないにしろ、同じ苗字を持つ先人たちは恐らく何処かでつながっているのであろう。

1/2が日曜で吹雪。夜には雷も鳴った。③弟が車庫前の雪を掻いたが、完全にアイスバーン化した路面はスコップでは歯が立たなかった。③弟に急かされ④弟に声かけて翌日外の茶店かファミレスで話そうと決めた。この旅のひとつの解決すべき問題。
父と④弟が食料買いに行くと言うのでついていって金を出した。食料品と紙おむつで9000円程。④弟が若い頃作った子から映像電話が入り、母と話した。④弟がそばにいなかったのは幸いだと思う。

翌朝、④弟朝ごはん担当したが飯を炊き忘れ時間かかっていた。後で③弟が言うには時々こうした段取り悪さがあるようだ。母が倒れる前は飯も炊いたことがないらしいから、それでも彼には進歩である。10時になり、③④弟と三人で父の車を借り山王の茶店目指すも流石に正月休みで、近くのガストに場所求めた。客は少ないが店は開いていた。
先ず母親の今後についてなど軽く前振りした後、④弟の今後のプランについて聞いてみる。思った通りだが、絵でやっていきたい、そのためにはネットのギャラリーに契約して自作を載せることに希望を抱いていると言う。対して俺は、絵で食うにはどれくらい稼ぎ必要かと聞く。20万くらいかなと言う回答は俺もイメージした額と一致したので、でも画材や経費考えれば25万くらいないといかんよねと言うと④弟は頷く。君のやりたいのは油絵か、そしたら一枚何日かかるか、一週間か。ならば絵は一枚6-7万円で売らねばならぬ。一枚6万の絵はおいそれと売れるものかどうか。何か戦略あるのかどうか。のような事を理詰めると、うーん、理想的にはネットのギャラリーに80くらいの絵のストックが有って、時々ご褒美の様に金が入れば嬉しいななど言う。では今絵は何枚あるかと聞けば5-6枚だという。ここまで子供を諭す様にわかりやすく話してきたが余りの能天気に次第にイライラしてくるのを抑えなければならない。では80枚描くのにどれくらいかかるか。すると今度は母の事を持ち出し飯を作るのが大変で今なかなか描く状況にないと言う。黙っていた③弟も話に加わる。母さんがこうなって、またいつ父さんが倒れるかわからない。絵のことをビジネスとして、金額として考えてないのでは無いか。うちの事を支えるならそう言う事を考えねばならぬし、もしそれができない、荷が重い、と言うのであればそれはそれで俺たちも考える。生活保護を受ける方法もあるのだと言う。方向性次第では④弟以外の兄弟たちの生き方も大きな影響を受けるだろう。
生活保護は受けたくないと頭を抱える④弟。理解不明のプライド。持っている絵も書いたのは4-5年前でそのあとは描いていない。曰く統合失調症の薬をやめていた時期にはテンションが高くて描いていたがその後再発して入院した。その時に母親が画材の一部を捨てたと言う。そのため今は描けない。描きたい気持ちはあるがと。
俺は問題を分解して考えてみなと言う。画材があったとして、週一枚油絵描けるか。描けたらどう誰に売り込むか。どんな戦略で?
一枚五万円の絵。ネットに置いても人の目に触れるのは厳しいよと俺。ネットはそんな絵で溢れてる。漫画家みたいに出版社に持ち込むか?絵の世界にそんなものがあるか。
画廊だろうと④弟。駅前の画廊に持ち込んでみたことはあるが、なんだかんだと批評されて結局買いたくないのが見え見えだと④。いや、批判してくれるのはありがたいのだ、普通ならそんなの無視なんだと俺。覚悟があれば批評に耐えて直して売り込まないといけない。③がアイデアを出す。駅前のギャラリーを借りて自分で手売りしてはどうか。そういう場所があればやるか、と言えばそれは乗りたい、というので、いやいやのるのはこの場合③の方。お前の情熱に俺らが乗れるかという話なんだと俺。平井堅は下積みのとき作った歌をカセットに入れて桑田佳祐の家のポストに入れていたという。それくらい情熱が有ればおれは応援できると③。④は煮え切らない。絵が売れなければ安くするしかない。画材を手に入れるためにはなんでもバイトでもしなければね、と俺がいうとそれはやりたくないという。なぜかと問えばサービス業はやりたくない。いやいや世の中みんなサービス業だよ。絵だってマーケットに合わせて客に合わせて描かねば食っていけないと俺。堂々巡りになってくる。
インスタに載せてるという2枚の絵を見せてくれたが幼児の絵の様で何ともコメントし難いものだった。
母さんと父さんは最後まで看取りたい、そう言う④。おいおい看取るとはどう言うことか。一昨日も風呂のボイラーが異音発している、壊れたら誰が直すのか?うちの固定資産税は払えるのか?黙る④。彼の中で看取りたいと言ってもそれは最後まで親の年金に依存する事と等しい。それがいかんから正月三日からこうしている我々だ。④弟は永年の不摂生で肥満し、白髪の混ざる長髪を後ろに縛り今にも死にそうな顔をしている。ネット販売に期待するのはわかるがあまり時間もないことは理解せよと言うと3ヶ月ほど頑張りたい、ではダメな時はどうするか、と聞けば消えたいという。その消えたいという言葉の意味に寒気も覚える。このどこで止めればいいか分からない兄弟会議は二時間近くなってなんと無しに俺が閉めてお開きとなった。

極々シンプルに理解しようとすれば発達障害なのだ。40代後半の男が17,8の子供の様なことを言う。10数年前に統合失調症になったことは可哀想な事だが、なんらかの因子はその前の彼の人生の過程のどこかに周到な地雷の様に埋められていた。その事を母も父も理解しながらも解決しようと出来なかった。甘やかし、失策の尻拭いをし、放り出した④弟の子供に仕送りまでしていた。これは優しい虐待ではないか。彼のためにもなんとかして欲しいと幾度も責めたのは俺だ。しかし母が倒れた今、もう責める先はない。その機会は永遠に失われた。俺たち兄弟が。そして長男の俺が。それを解決しなくてはならない。

④をうちでおろした後、③弟が運転する車は俺を駅前まで送った。泥の様な徒労感が小さい車を満たしている。あいつの事が母さんの心労になってた事間違いないよ。信号待ちで③弟がぽつりとつぶやく。この先父が倒れたら④はますます引きこもり、逃げられなくなる。その結果、酷い状態で彼を世の中に放り出さないといけなくなるのではないか。それを避けるためにはここ数ヶ月。ひとつの結論を出さねばならない。母はそれまで生きているだろうか。

駅で友のために酒の小瓶買い、100円ショップでキッチンタイマーや銭湯用の洗いスポンジ、タオルを買う。本屋で父様に脳トレ本を買う。その後華の湯という日帰り温泉を見つけ髭を剃った。バスの時間が悪く、降りたバス停は雄物大橋でうちまで15分ほどカチカチに凍った道歩かねばならなかった。俺はこの寒さで育った男なんだと言い聞かせて川からの雪風に凍った轍道に挑む様に歩いたが泣けてきた。
③弟が親子丼を作って待っていた。明日は6時の新幹線だから朝はもう母と話せないかも知れない。ベッドに座る母に無理に頼んで写真を撮る。次会う時。次会う時。
生きてる?俺のことわからなくなってたら?ありがとう母さん。ありがとう、それは言葉に出来ない。でもね。ありがとう。俺のこと待っててくれて。

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