タイムマシンは信用してないので。
年末年始が好きです。
人がさも、時間にピリオドがあるように錯覚し始めるからです。
カレンダーを捨てる前に、限られた余白に書き込む文字数を増やそうとして慌ただしくなる。
世の中全体が賑わって、正月には沈静。
暦に合わせて世間に発生する一体感が、年越しそばより楽しみです。
ところで、知っていますか。
タイムマシンを使わずに時間移動する方法。
ドラえもんもドクもいないのにどうやって、と思うかもしれませんが、実はあるんです。
少し現代SFにおける時間概念について説明します。
それこそ「ドラえもん」や「バックトゥザフューチャー」なんかで使われているロジックでは、過去と未来が現在を挟むように存在します。
過去には過去の世界があり、未来には未来の世界がある。
しかしこれは、時間と暦の合体した概念が社会全体に浸透したことによる新しい時間の捉え方だとされています。(だったはずです)
カレンダーの上をタイムマシンが行ったり来たりできるのは、現代が時間に従って規則正しく進行し、日が変わる速度が常に一定であるという前提があってこそです。
これを前提としない時間の考え方があるんです。
時間は常に流れ、一定の速度で進む。そこは変わりません。
しかし、この考え方に過去の世界や未来の世界は存在しません。
現在と地続きの過去と未来が存在するだけです。
つまり時間という一本の川の中に過去も現在も未来も含まれていて、生物や物体がそこを移動している。つまり「時間が流れている」のではなく、「我々が時間を流れている」という考え方です。
……難しいですね。
故に、意識を過去に転移させる……つまり「自分は過去に存在した」と強く思い込むことで、現在から過去への移動が可能になります。
この時間移動を採用しているのが、小説および小説を原作とした映画「ある日どこかで」です。
SFながら1910年代のアメリカのロマンスを感じられる、面白い映画ですよ。
時間移動するまで40分かかるのはどうかと思いますけどね。
時間というのは、本当は存在しないのにみんな信じていて面白い概念だと思います。
そもそも信じないといまの社会は成立しないし、その社会で生きていくこともできません。
自分だって時間を利用して作業に踏ん切りをつけたり、人と落ち合ったりしています。なくてはならないものなので、捨ててしまえなんて言う気はさらさらありません。
けれど我々の信じる現在なるものは、やったことの蓄積とやってないことの蓄積の間にあるただの隙間だとも思います。
もしも「やり残した」が後悔の域に達しているのなら、そのカレンダーを捨ててしまってもいいかもしれません。
過去にはいつだって行けますからね。回収するのはいつだっていいですよ。
それではよいお年を。
今週の質問:2023年にやり残したことは何ですか?なければ、2024年にやりたいことは何ですか?
慇懃無礼な感じをもうちょっと出していく。
(ちゃんとする場ではちゃんとする)
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