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「クラス会議」に出会ってから20年。あの頃から教育がどこまで変わってきたのかを振り返る。

僕は20年前に、京都のアバンティという本屋さんで「クラス会議で子どもが変わる」(コスモスライブラリー社)という本に出会いました。手に取った瞬間に衝撃を受け、時間を忘れて本に没入し、そのままその場で最後まで読んだことを覚えています。初任者だった僕は、「こんな教室を作っていきたい!」「こんな学校にしていきたい!」と雷に打たれたようでした。

その場で最後まで読んで、本当に心を打たれたことを今でも覚えています。手が震えるような感覚で、レジまで半泣き持っていって購入し、帰ってすぐに出版社にメールを送りました。そのメールが原文のまま、コスモスライブラリー社のホームページに残っています。(読みたい方は、画像にリンクを貼ってます。クリックしてみてください。)

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「クラス会議で子どもが変わる」(コスモスライブラリー社)
ジェーン・ネルセン、リン・ロット、H・ステファン・グレン(著)
会沢信彦(訳)、諸富祥彦(監修)

この本のエッセンスは、初めの数ページを読めば分かります。以下、引用です。

「基本に返れ!」とよく言います。確かにその通りです。しかし、その「基本」の定義が問題です。読み、書き、計算が基本だとは、私たちは考えていません。私たちが考える基本とは、勇気、信頼、そしてライフスキルです。これらの基本を身につけることによって、子どもたちはよりよく学び、またよりよく生きることができるのです。

私たちは夢を持っています。その夢とは、若者たちが尊敬を持って扱われ、彼・彼女らが人生で成功するために必要なスキルを学ぶ機会を得る、そんな学校についての夢です。その夢とは、子どもたちが失敗しても決して屈辱を経験せず、安全な環境の中で失敗から学ぶことによって力づけられる、そんな学校についての夢です。その夢とは、生徒たちが競争の代わりに協力を学び、生徒と教師が解決に向けて協力しあう、そんな学校についての夢です。

練習し、間違いを犯し、学び、そして再び挑戦するという機会を与えずに、子どもたちに知恵と適切な判断を発達させることを期待する大人達が多すぎます。定期的なクラス会議はたくさんの練習時間を若者達に与えます。

いつ読んでも思いますが、今でも、本当に心に響くし、当時のボクは、それこそ全てをひっくり返されるかのように、心を打たれ、「クラス会議」の沼に頭から飛び込み、どっぷりとハマりまくってきました。

お互いを大切にしあって尊重し合う関係の中で、間違いが認められ、試行錯誤できる…。そんなクラスで、民主的な話し合いをベースに、自分たちのことを決めていったり、困ったことに対処していくことができる…。こんな教室が、こんな学校ができれば…と、この「クラス会議」に全てを賭けて約20年。

これまで、いろんなことを学び、いろんな方に出会い、本当に感謝しかありません。ただ、最近、20年経ったってことを意識するようになって、この20年で教育はどう変わってきたのか、そんなことをを考えるようになりました。

この20年で、「クラス会議」から学んだこと。

この20年「クラス会議」に没入して学んできましたが、未だに学ぶことがあります。「『クラス会議』は噛んでも噛んでも味のし続けるガムようなもの」と、仲間の間では表現することがありますが、本当にそんな感じ。ずっとずっと、試行錯誤しては、気づき、学ぶ…の連続です。

この20年で学んだことは、もちろん「クラス会議」の良さや素晴らしさです。そして、関わる教師がどんな風に関わっていくかってこと。そして、アドラー心理学を始め、様々な考え方です。実践のスキルとしては、もちろん学びの多い活動であることは間違いありません。

ですが、20年やってきて、実際に学ぶこと以上に、「クラス会議」を学べば学ぶほど、実践すればするほど、大切にしないといけないことについての考えがはっきりしてきました。それは、「『クラス会議』でその年のクラスがうまくいくこと」ではなく、「子どもたちがいかに学んでいくのか?」ということです。

つまり、自分だけが「クラス会議」をしているということだけでなく、学校全体で「クラス会議」を中心に取り組み、子どもたちの学びが継続していくように設定していくことや、担任する前の子どもたちの様子と、担任した後の子どもたちの様子も含めて考えていかないといけない…ということです。このあたりは、また別の機会に詳しくまとめようと思います。

この20年で、現場はどう変わったのか?

先日、ある県の初任者の先生から「クラス会議」をやってみたい…という熱い思いが詰まったメールをいただきました。かつてのボクが出版社にメールを送った頃と、何か変わっているのかな…と考えるキッカケになりました。

「クラス会議」と衝撃な出会いをして20年。こんなクラスに、こんな学校に、こんな風に子どもたちが学べればいいのに…と考えたことが、どれだけ実現できているでしょうか。もしかしたら、子どもたちを取り巻く社会はさらに複雑になっていて、より厳しい状況になっているでは…と感じることもあります。つまり、この20年で大きく変わったかというと、決してそうではありません。

20年前に比べて、学校が、屈辱を経験することなく、安全に試行錯誤ができる場で、競争ではなく協力を学ぶことができ、練習し、間違いを犯し、学び、再び挑戦することができる場…となっているとは言えないかもしれません。もしかしたら、そんな雰囲気とはかけ離れていたり、真逆な雰囲気になっていることもあるかもしれないな…と思ったりしています。

ボクは教育現場からは離れてしまいましたが、ありがたいことに「クラス会議」について話してほしいという依頼をいただくことがあります。正直、自分自身、しっかりやってこれたか…というとそうではありません。でも、「クラス会議」というすばらしい考え方に出会い、うまくいかない困難な時も諦めずにやり通してきました。

やってきたことがもしも役に立つのであれば、伝えられるだけは伝えてみようと思っています。やれるところまでやってみようと思っています。大好きな焚火に例えるなら、多分大きな炎で燃え上がることはないけれど、「熾」のようにじわじわと思いを温めつつ、必要な方に火をつけるキッカケになれたらいいな…と思っているのです。

かつて衝撃を受けた「クラス会議」の本に描かれたいたような雰囲気の中で、子どもたちが学んでいける場を作っていく教育を作っていくには、どうしたらいいのか…ってことを、自分の関わっていく範囲の中で少しずつ考え続けていきたいと思います。


店長敬白。


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