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人生の選択はいつも背中を押されてpart1.

東京のモデルクラブで外国人のモデル達をオーデションに連れ周り売り込むと言う「マネージャー」の仕事を3年間。その後、デスクとしてモデル達のマネージメントをする「ブッカー」を3年。

モデル達を引き連れてめちゃくちゃ遊んだ。乃木坂の交差点の角で目覚めたこともあったし、モデルの部屋で朝まで過ごしたこともあった。いやあ、楽しかった。笑

その時代は東京に外人モデルが200人以上はいたはず。その子達が1つのテレビコーマーシャルや、雑誌のカバーをとりに行く。

まだ10代のモデル達が主流で、生まれて初めての親元を離れての海外生活、そりゃはちゃめちゃな生活ですよ。でも、みんな心細く、自信なく、寂しかったよね。

私の立場はいつもエージェントであり、母であり、姉であり、友達。「smile!  smile!」経験のなさも、自信のなさも、最高の笑顔でカバーする事がまずは最初。体重管理もお肌の管理も私の役目。

たくさんのモデル達の涙も見てきた。できるだけ多くの仕事のチャンスを作り、でも結局は一人で仕事をとりに行く。落ちたら支えてあげるの繰り返し。モデルは1〜2ヶ月でどんどん入れ替わり、先の先まで売りたい(この言葉が残酷、だけどこれが事実)モデル達を海外からスカウトする。

そんな仕事の7年目、終わりのない仕事に区切りをつけようと思ったのね。モデルなんて結局は流行に左右される水もの。

せっかく英語ができるのだからカタギの仕事に就こうと思ってえいっと辞めたら、すぐに違うモデル事務所から声がかかり(ブッカーという仕事はすごく特殊で、ほぼモデル事務所間の人事異動に近いことが日常茶飯事)、無理無理無理と断ったのだけど、一度事務所に来て!という強いお誘いに行ってしまったのよ。

実は、人生で初めてのモデルさんとの出会いは20代前半の時、地元で行われたウェディングショーで、当時付き合っていた人のお母様が着物の着付けに入るということで、ショーを見て、その後のアフターパーティーにまで参加させていただいた。

めくるめく世界とはまさにこのことで、今まで見たことのない絶世の美男美女のモデル達は、この世のものとは思えなかったわ。

とうてい真似のできない完璧な笑顔や、突き刺さるほどの鋭い視線、まっすぐに伸びた手足に、絵画のようなキャットウォーク。

その頃日本人モデルのパリコレ進出と言えば知る人ぞ知る秀香さんと、山口小夜子さんまでがいた。

凡人の自分ははしゃぎすぎて、10頭身のモデルさんと一緒に写真撮ったし。「モデル」と言う仕事があることを知ったのもその時で、いつかはファッションショーの裏側に立ちたいとも思ったな。

実際きらびやかな世界の裏側は裏側にありがちな世界もあり、いい経験になったと見切りをつけたのだけど、とりあえずの顔繋ぎと、誘われた赤坂の事務所へ向かった。

ドアを開け、そこにあったのは…等身大の往年のスーパーモデル、秀香さんのパネル!「welcome!」って絶対に言われたよね。そこからさらに15年、モデルと関わり世界中をスカウトに駆け巡ることになろうとは知るよしもなかった。人生の軌道修正するつもりだったけど、まさに背中を押された人生の選択だったのです。

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