情報を聞き出そうとする人と、感情を聞き出そうとする人
持病をもった、と人に話すと概ね2種類の反応が返ってきます。
①深堀りせず私の話を聞く姿勢
②色々聞いてくれようとする
ありがとうございます、どちらもありがたい反応です。
難しいですよね、なんて言ったら良いものか、となるはずです。
先ほど2種類と言いましたが、厳密に言うと3種類です。
②の話を聞いてくれるくれる人のなかで
「情報」と「感情」の2つで分かれます。
「その病気って原因があるの?」
「どんなことで体調が悪くなるの?」
→はい、これは病気に対する情報を聞くパターンです。
「どんな時が一番辛い?」
「これからどうしようって考えてる?」
→はい、これはわたしの感情を聞こうとしているパターンです。
何度も言いますが、どちらもありがたいです。
どんな形であれ、わたしの持病の話にしばし付き合う時間を頂くのは至極申し訳ないと感じている訳です。はい。
ただ思い返すと「情報」だけ聞くのは少し要注意です。
(あ、でも人にもよるので、1つの意見です。)
私の場合ですが、
情報を色々と聞いてくれると「答えなきゃ!」ってなります。
しかし病気の因果関係も推測でしかないし、確実な不調の防御策もないです。つまり相手が想定しているであろう答えをうまく話せない辛さがあったりします。
一方、感情の方は自分のことなので、
はっきりした事じゃなくても会話が成立がします。
あとは、私を分かろうとしてくれてるんじゃないかという嬉しさもあります。
難点なのが、相手の感情に寄り添う話って繊細なコミュニケーションですし、聞いた側もエネルギーがいると思うんですよ。
なのでもし、今後誰かに病気の話や身内の不幸の話をされたら、
「情報」と「感情」をミックスさせるのが良いかもしれません。
もしくは、「情報」「感情」のどちらかをきいたら、すっと聞かないスタンスを取るか。
仕事の関係性なので仕方がないんですけど、
「情報」だけをやたらめったら聞いて終わった人がいます。
(相手としてみたら仕事を回すためには情報が大事)
その方とはいま、一切連絡を取り合っていませぬ。
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