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silentと「優生」

ドラマに便乗してアクセス数を稼ぐ浅ましい手話研究者……と思われるかも知れませんが、一応言っておかねばならないことがこちら。

前回の記事に引き続き木曜ドラマsilent、第8話の話題です。ネタバレします。というか字幕で見てなかった人以外、気づかなかったことにも言及します。

あらすじのまとめ

さて、第8話では、前回の終わりでなんとなく前向きになった中途失聴の想が群馬県の実家に帰ります。そこから回想シーン。聞こえにくくなってきた頃のこと、そして聞こえなくなった頃と家族の思い出。

そもそも実家から出て東京の大学にスポーツ推薦で進学して寮に入って活躍してたはずなのに、耳が聞こえなくなっていくという病気のために、実家にちょいちょい帰ってきていたみたいな想くん。自分でそんな大きな症状に対処できなかったんだろうなとも思うけど、なんというか、篠原涼子演じるお母さんが献身的すぎて「何歳の子どもの母なんだろう」と思ってしまう。

あと、お母さんは、いつも家事をしている。どんなシーンでも皿を洗ったり、料理を作ってたり、洗濯物をたたんでいたり、庭で花に水をやっていたり、家族の運転手をしていたりする。そこまで奴隷のように働くお母さんって、現代ドラマでちょっと異質になってきてる気がする。(というか異質に映って欲しい、そろそろ)

姉と妹が割とちょいちょい話に絡んでくるんだけど、妹はともかく姉は実家に住んでるの? 姉が妊娠してから(時系列的には現在?)母に買い物に付き合ってもらえると思ったら、母は想のために何かするから無理だと言われるシーンも謎。きょうだいは軽く扱われるみたいなシーンを描きたかったのかしら。そして、その前後で「お母さんの子どもってことは、私の子どもも聞こえない可能性があるんだよね」みたいなことをいう姉。まあねえ。遺伝性疾患ならそういうことになるよね。

ただ、姉の出産と、想の障害受容をなぜ並行して描かなければならなかったのかは本当に謎。こうやって書いていても時系列が混ざるし、整理しにくい。とりあえず想は徐々に聞こえなくなって、家族がそれを支えてきました、というシーンに並行して「現在姉が妊娠していて、遺伝を心配している」という。

そして、突如病院のシーンになって、新生児聴覚スクリーニング検査の結果が出る日(もう子どもが生まれている)。ここ、伝える役の人が演技が下手だったのかやたらと嬉しそうに大丈夫でした、聞こえていますよと言う。そして姉もあまり演技が上手じゃなくて、「よかった〜」となる。

そこにダブルミーニングを読み取らせることができたら主演女優になれるのにね。。と思っていたら、子どもの名前が意味深すぎて、炎上していた。少なくとも私のタイムライン上では、「優生」って名前なんだよ!とみんなが怒っていた。(いや、女優さんたちの演技力の問題じゃなくて、演出の問題だ)

どうやらそのことは、字幕(+ドラマの公式SNS)でしかわからなかったことが判明。後で見たときも「ゆうき〜」と呼んでたり指文字で「ゆ-う-き」を教えられたりしているシーンしかなかった。

「優生」という呪いの名前

さて、何が問題なのかといえば、このちょい役で出てくる謎の「新しい命」に、なぜに「優生」なんて漢字を当ててしまったのかである。

「優生」というのは、私たち手話関係者にとっては「優生保護法」や「優生思想」につながる、いわば「負の遺産」に直結するキーワードなのである。

優生保護法というのは、第二次世界大戦中の1940年からある国民優生法、戦後の優生保護法に名前を変えて1996年に母体保護法に法改正されるまでずっとあった優生思想に基づく法律である。優生思想というのは、「遺伝的な障害・疾患のない子どもを作るべき」という考え方である。それに基づき、障害者や遺伝的な疾患を持つ人は、妊娠・出産・婚姻などを社会的に制限され、妊娠できないように不妊手術を本人の許可無く実施することもできた。1970年代に使われていた保健教科書には、結婚相手の血筋に障害者がいないか確認しろというようなことが書かれており、その頃までは強制不妊手術は多く行われていた。

人道的な問題から1980年代以降その手術をやっていることはあまり堂々と誇られることはなかったのだが(1981年が国際障害者年だ)1996年までそうした「障害者は子どもを持たなくて当然」みたいな法律があたかも当然のようにあったのだ。強制不妊手術が1996年まで合法だったことに、30代以上の人は戦慄するだろう。

まずはこのあたりの本から一度は読んでおいて欲しい。

障害者は、実は遺伝的な疾患かどうかを問わず、親がいいといえばどんどん不妊手術を受けさせることも厭われず、むしろ何人手術をしたかを競うような報告もあったという。そんな状況じゃ、障害をもつ子どもがいたら、親は子を差し出さざるを得ない、かもしれない。

手話と優生思想

手話コミュニティの中で、最もこの「遺伝性の障害」が濃厚なのは、ネイティブサイナーだ。親から生まれながらに手話をインプットしてもらえる、言語学のフィールドワークでは重宝される生え抜きの話者が、最も差別される立場にあったわけである。皮肉なことに、というべきなのだろうか。

「日本手話」の調査をするときには、ネイティブサイナーを重視する。言語直観がすぐれているからだ。それだけの理由でそのように調査をしていたはずなのに、優生思想のことを勉強せざるをえなくなった。

あるとき、「あーでも50代後半以上のネイティブサイナーって少ないよ」といわれる。それに、思い返してみると「親が駆け落ちした」みたいなエピソードがちょいちょい出てきていた。駆け落ち…。そんなドラマティックなこと、そんなに頻繁に起こるの?

不思議に思っていた矢先に、研究滞在先のアメリカでデフカルチャーの授業を受けた。あるときはDeaf President Nowに1コマを割き、またあるときはフランスからアメリカに手話をもたらしたクレールの話を聞いた。そして、Eugenics。実際、単語帳で目にしたことがあったかもしれないが、その時初めて辞書で意味を確認した。

授業では、グラハム・ベル——歴史上の偉人伝に電話を発明した人として載っている——が、どういう人なのかがずいぶん熱心に語られた。彼は難聴の妻のために補聴器を作り、それを応用して電話を発明したというところまでは聞いたことがあった。しかし彼は、「聾学校は廃止すべきだ。聞こえない人たち同士で結婚すると聞こえない手話を話す子どもが増える。出会いの場をなくすべき」という主張をしてきた人である。

手話が言語であることが見いだされていなかった時代とはいえ、聞こえない人同士の結婚によって聞こえない子どもが生まれやすいことはわかっていたらしい。そして、そういうのはなくすべきなのだと。

優生思想は、ナチスドイツのものが有名だ。映画で、車椅子の人を窓から投げ捨てたりするシーンが描かれたりするが、とにかく民族浄化といって、気に入らない遺伝的要素を持っている人を皆殺しにしようとしたというイメージが強い。でも、それは別に、ドイツだけで起こったことではない。

私たちは障害者に優しくしようとか愛は地球を救うとか言う前に、もっと学ばなければならないし、それを二度と繰り返してはならないと、きちんと教わる必要もあるだろう。ドイツではホロコーストについてきちんと学ぶという。ワシントンDCにもホロコースト資料館があった。教訓としてきちんと学ぶための施設まであるのだ。しかし、我々は、まだその段階にない。障害者を感動の材料にしている。(感動ポルノという)

私が書いた「危機言語としての日本手話」には、このあたりのことも書いてある。興味がある方は読んで欲しい。

まとめ

そういうわけで、生まれた子が「聞こえる」子だったからといって「優生」という名前をつけたというのは、タブーを犯してしまったなというわけである。別の、どんな名前でも良かった。YUKIのアルバムを見つけて想の姉がはしゃいでいるシーンがあったから、そこから名前が来ているのでは? という憶測もあった。そうであれば、「雪」でよかったのだ。ドラマタイトルの手話訳は「静か/雪」だったので。それなのに、何を血迷ったか「優生」だった。遺伝的疾患を免れた、「優生」の子どもだったというシンボル化を、わざわざ主張するのは、悪趣味としかいいようがない。制作側が気づいていなかったとしても、指摘せざるをえない。

そもそも、このシーン、このドラマに必要だったのだろうか。次回が最終回だというが、回収されるのだろうか。遺伝性の疾患を抱えた想は、結婚してはいけない(=子どもを作ってはいけない)というようなくさびを打ち込むような展開になってしまうんだろうか。本当に、その辺ちゃんと、「わかって」作って欲しい。センシティブな話題なのである。

優生思想は今だって息づいている。だって1970年代に学校を出た人は、「結婚相手の親族に障害者がいたら結婚はやめよう」と習っているのである。今結婚しようとする人たちの祖父母世代はまだここにいる。それ以降、更新するための学習機会もなかったのだから。それで、この思想を強化するようなドラマを2022年に作って良いとも思わない。そういうことだ。

おまけ

このドラマ、本当に「手話」を使うことを礼賛するような流れにしたいなら、むしろ聞こえない子どもが生まれても「みんなうちの家族は手話ができるし」。想は奈々を通してろう者コミュニティに改めてつながるきっかけになって、大団円。そんな展開でもよかった。姉がなぜこのタイミングで出産したのか、ドラマなんだからやるならちゃんとやって欲しかった。正直不要なエピソードだと思った。第9話を見たら、想の障害受容の物語という本筋は全然ぶれてなかったことがわかったから、遺伝的疾患に悩むみたいなところは後回しなのではないか。主題にするならもっと重く扱うべきだし、軽くこしょうを振りかけてみましたみたいに扱えるような問題ではない。

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