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石丸伸二が直接対決を恐れる宿敵 第7回 ~岡田吉弘の華麗なるスルー~

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石丸は青年市長とつるむのが好き

既存政党からの支援を受けない石丸は、世間からは一匹狼のように見られているが、実は 有志の若手市長と対談することが大好きである。
橋下徹に首長連合の呼びかけを奨められたが、石丸自身はあまり乗り気には見えなかった。おそらく気の合う者同士と内輪話をするだけのほうが、ボロが出なくて済むからであろう。
『あきたかたMeet-up オンライン』と称するYouTubeチャンネルでは、そんな気の合う仲間達との対談を配信している。

以下に、石丸と対談した経験がある市長を挙げる。

前徳島市長内藤佐和子

在任中には最も多く『あきたかたMeet-up オンライン』に、ゲスト出演していたのが内藤である。

阿波踊りをめぐって揉めに揉めた混乱に乗じて市長に就任したが、内藤は体調不良などを理由に再選出馬を断念し、市長在任は1期に終わった。

内藤の後を追うように、石丸は再選不出馬を表明し、都知事選立候補のために任期途中で退任した。

芦屋市長高島崚輔

ハーバード大学を卒業した秀才で、全国最年少の市長である。
高級住宅街があることで有名な芦屋市にも高齢化の波は押し寄せており、高島崚輔も市政改革を掲げるが、石丸と違って物腰は柔らかく一貫して低姿勢である。

芦屋市の教育委員にさいたま市教育長を務めた教育専門家を迎えようとするも、議会の反発を招き否決されてしまう。
これは教育委員は市内に在住する者を選出することが原則との条例があるからである。
高島崚輔が既定の枠組みに沿って提案しない点は、石丸に似ていると言えなくもない。

福岡市長高島宗一郎

九州朝日放送アナウンサーから転身し、当時最年少の36歳で市長に就任した。
政治経験がないにもかかわらず、スタートアップ都市を掲げたり、多くの大規模イベントを誘致して、福岡市を活性化させた敏腕市長としても名高い。
安芸高田市の新名物「あきたかた焼き」を石丸と共に食してPRした。

都知事選後には石丸現象についても言及した。政治経験がないまま市長になった者としてシンパシーを感じたのであろうか。

私は、高島宗一郎が格上の政令指定都市の市長として、先輩風を吹かせたかったのであろうと邪推している。実績ある大都市の市長が石丸とつるむメリットはない

美濃加茂市長藤井浩人

市議を経て28歳で初当選し、当時の全国最年少市長として大いに話題になった人物である。爽やかで清潔そうな外見と相俟って、地元では絶大な人気を誇った。市長就任前の市議時代に収賄したとして逮捕・起訴されたが、釈放されてからの出直し選挙では圧勝した。
石丸は藤井と在任中も退任後にも対談している。
逮捕拘留やその後の裁判、そして関係者の離反により、藤井は想像を絶する孤独を味わったに違いない。
しかし、藤井が潔白を証明したいならば、石丸のように人格面で論議を呼ぶ政治家とは距離を置くべきである。ましてや、都知事選の応援などもってのほかである。

藤井は執行猶予付きの有罪判決で失職し、公民権停止期間が解けて美濃加茂市長に返り咲いた現在も、冤罪を訴え続けて再審請求している。藤井が失職した際に、側近の伊藤誠一後継に指名しておきながら、返り咲き選挙に出馬して伊藤を倒したことに、私は矛盾を感じる。自らが託した後継者が出馬するなら、藤井は後継を尊重して争わずに、自らが鞍替えすべきであったと考える。

藤井の冤罪を信じて弁護を引き受けた郷原信郎が、石丸の言動を疑問視していることをどう受け止めているのであろうか。

彦根市長和田裕行

藤井だけでなく和田もわざわざ上京してまで、東京都知事選にて石丸を応援した。

和田が都知事選で応援した返礼として、石丸は彦根市の一日市長を務めた。

和田はビジネスマンとして彦根市の価値を高めるとしているが、その表現は彦根を貶めようと努めているとしか思えない。

まるでカルト宗教の洗脳である。公人の自覚はゼロと言ってもいい。

石丸は最も近い存在である岡田からは相手にされていない

改めて考えてみると、石丸と最も縁が深い市長は、やはり私が「双子の市長」と称した三原市長岡田吉弘である。この二人が顔を合わせないのは、石丸が岡田に苦手意識を持っているか、岡田が石丸を無視しているかのどちらかである。いや、もしかしたらその両方かもしれない。

君子危うきに近寄らず

石丸と岡田が顔を合わせた場面は、第4回で取り上げた三矢の訓協議会リモートで開催)の一幕以外には、広島県市長会議くらいしかない。

前列左端が岡田、前列左から2人目が石丸

また、岡田は前述の美濃加茂市長藤井浩人とは、対談ではないがパネルディスカッションした経験がある。

このようにわざわざ連携しなくても、各市町村長と交流する機会は、外部団体によっても設けられるので、仲間作りは慎重に行うべきである。

進んで「清濁併せ呑む」ことは愚かである

政治の世界には多種多様な人物が集まってくる。その中には自分とは今一つ馬が合わない者もいる。同じ自民党内にも「あいつは気に食わない。むしろ、立憲民主党の議員と話しているほうが気が楽」と思える人物がいても不思議ではない。
安倍晋三は岸田派の溝手顕正を、国家公安委員長兼防災担当大臣に大抜擢した。おそらく性格的にも政治的にも、二人が通じ合うことはあまりなかったと想像する。
安倍は、石破茂を幹事長に、河野太郎を外務大臣に任命するなど、自分とは考えが合わない議員を思い切って抜擢する度量が持ち味であった。しかし、溝手を登用して恩を仇で返されたと感じ、河井案里を刺客に送ることになるのなら、最初から溝手を相手にしなければ良かったのである。「清濁併せ呑む」ことは政治家の美徳であると同時に、自らの足元を掬われる羽目になりかねない。結果として河井夫妻選挙違反事件は、国民の政治不信を招き、広島県では自民党の牙城が崩れてしまった。
かつて三原市長を務めた溝手は、岡田の政治上の師であり親である。

また、交流がある人物に悪評が立った場合に、自分まで同類とみなされるリスクは避けたいものである。

石丸完全スルーは岡田の聡明さの証

溝手は迂闊にも安倍を公然と批判したことで、安泰と思われた地位から引きずり下ろされた。岡田はこの師の轍を踏むことなく、地道に歩を進めているように見える。石丸と手を組んで知名度を高めることもできたのに、逆に石丸を徹底的に避けた岡田は、昨今のネットでのコラボブームの危うさをよくわきまえている。私が岡田を信用に足る人物と判断したのは、経歴や政策よりもこの冷静沈着な姿勢を保っているからである。

岸田の不出馬

8月14日に内閣総理大臣岸田文雄は、次の自民党総裁選挙に不出馬を表明し、任期満了をもって退陣することになった。言うまでもなく岸田は広島県自民党の重鎮である。


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