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子どもを王にも奴隷にもするなかれ 育児に悩む人が買ってはいけない教育本の古典 エミール/ルソー

育児に悩んでいる? よろしい、『エミール』を読みたまえ。こんなの無理?うん、私もそう思うのだ。時代を変える本は、読み手に求める理想の高さゆえに、エネルギーを奪いがちでもある。気分が楽になる部分もあるのだけれど。

大学の学部に、「教育学部」という専攻がある。誰かが教育学部に行っていると聞けば、「将来、先生になりたいのかな」と思う。これは正しいが、こぼれた意味もある。「教育」学部は先生になるために教育方法を学ぶが、「教育学」部は、教育制度を学ぶ、いわば教育行政を学ぶための学部である。

『エミール』を書いたルソーは、18世紀のフランスの哲学者、政治学者である。1789年にフランスで革命が起こり王政が倒れた(おかし大好きと思われているマリーアントワネットが首チョンされた革命ですね)わけだが、その直前の、フランス革命を思想的に支えた思想家の1人と言っていいだろう。

現代においては、子どもは大事にすべきである、という実行は難しても理念としては何となく一般的に持たれている感覚がある。

しかし当時は、子どもはそうした対象ではなかった。大人のミニチュアとして、小さな労働力と見なされていた。金持ちの支配層でも、後継者となる長子以外は、それほど大事にされていたわけではない。乳母に預けられた子どもは、布でぐるぐる巻きにして壁に吊るされた。

そうした子ども不遇の時代を変えたのが、このルソーの『エミール』である。ルソー自身にも5人の子どもがいたが、貧しさもあり、子どもたちを孤児院に送っている。この体験の後悔もあったのか、「子どもをより良く育てるには」という、当時としては突拍子もない課題に取り組んだのが、この本である。

「エミール」ってなんやねん、という疑問があるが、この本がエミールという名前の子どもを育てるという、架空体験記として書かれている事による。

と思っていたが、読んでみると、エミール君はほとんど出てこない。ルソーの教育論が延々と語られ、たまに実例風のエピソードにエミール君が使われる。

『エミール』で語られるルソーの教育論はさまざまな内容を含むが、私の印象に大きく残ったのは、「自然人としての子どもを尊重する」という事だ。
当時のフランスは王政下にあり、強大な王政への不満・疑念が膨らんでいた。ルソーも別の著作である『社会契約論』で、王政とは異なる人民主権の社会のあり方を提示している。王政にあって支配される人々が、いかに社会を主体的に構成する「市民」になるか。ルソーの重要な問題意識であった。自然人とは、市民になる前の、生きるのに余分な思想を持たない子どもを想像してもらえばいい。

われわれと言わずに私と言っておくが、私は子どもたちが早く社会的になってほしいと思う。「道徳心」や「仲間意識」や、今後の人生で必要になるであろう概念を早く身につけてほしいと思う。

ルソーはそれに待ったをかける。「そんなん今教えて、子どもたちの成長を歪めるんちゃいますか」と。ルソーが「市民」になるための教育に反対しているわけではない。市民になるための教育にはふさわしい時期があり、ふさわしい方法があり、うかつに行われた教育は子どもたちを王や奴隷にする、と述べるのである。

王とは他人を支配する快感に目覚めた子どもであり、奴隷とは他人から支配される諦めに生きる子どもである。

うん、ルソーさん分かるよ。手間がかかる子どもにいう事を聞いてもらいたいから、強く言っちゃって、自己嫌悪になってしまう事あるよ。奴隷を作っているんじゃないかって、薄々感じる事もあるよ。

ルソーさんは『エミール』で子どもの教育をテーマにしたが、この本を読む時に強く教育されるのは、読み手である私たち大人である。教育をしていく大人、教育をつくる大人を変える事が、より強く教育を変える。そして社会を変える。

という事でこの本は間違いなく名著だと思うが、育児ノイローゼに悩む人が救いを求めて読むと、より困難な状況になりかねないとも思う。子どもの教育にはふさわしい時期がある、なんて体得できれば、悩みも癒えはするんだろうが、難しいよなぁ。

というわけで、リアルタイム子育て世代の保護者さんは、子どもの担任にプレゼントすればいいんじゃないでしょうか。


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