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ストレスを感じる仕事は世界のマイノリティか。プロフェッショナリズムとは

勤務経験も長くなり、色々な職場や上司、同僚、取引先やお客様と数多く触れ合ってきた。昭和の味を色濃く残す会社の上司部下として飛んでくる灰皿をよけている会社員たち。はたまた自由を求めて企業して給料を大きく下げながらも自分のやりたいようにやっている人たち。ふつうの世界とは違う、特殊な業界で生きていく人たち。働き方なんて言うのは人それぞれなのだろう。

長い仕事人生、ずっと楽しければそれに越したことはないかもしれない。ただ、そうゆうわけにもいかない。いやな奴、忙しすぎる仕事、暇すぎて干されていると感じる瞬間、給料が出ない環境、自分がやりたくないこと、不安になる場所に一部を除いた誰しもが一度は身を置いた経験があるかと思う。

そうして長く働くことで気づけなくなることが多々ある。それは仕事に対しての価値観がその一つでおそらく最も大きな要素だろう。価値観というのは、正しいこと、正しくないこという括りでは語れない、正解のないものである。そのようなものは意識的に植え付けられるというより、外部環境で刷り込まれていくものだ。仕事における価値観で刷り込まれる代表は「仕事は辛いものだから」。仕事をする上では「つらくなければいけない」のである。逆にいうと「つらければ何をしててもいい」という拡大解釈。この解釈は正しいというよりかは意味のはき違えである。

辛いことで得られることは仕事自体が辛いものである場合、その内容に我慢ができるという前提があるときである。例えその方向性が間違っていたとしても、はたまた間違っていると思われていたとしても、つらいことを我慢できる人たちを抱えることで全体のパフォーマンスは保たれる。この価値観においてはそもそも本当に「つらい」仕事をこなすことに対して圧倒的に長けている。

ただ、ここで疑問が思い浮かぶ。そもそもなぜ辛くなければいけないのだろう。辛い仕事とは何なのだろうか。辛いと何が起こるのか。一つ、私自身が良く考えるのは「プロフェッショナリズム」という考え方である。言い方を変えれば「社会人」である。部下を叱る人の得意ワードの一つは「あなたはプロなんだから」「プロとしてだめ」である。プロは〇〇××であるべき、という暗黙の了解が存在するのだ。プロフェッショナリズムは現代日本社会においては絶対的な意味を持つキラーワードとして利用される。

そしてプロフェッショナリズムとはなぜか苦しむことである。苦しいことは当たり前であるということになる。楽しんでいるとプロではないと思われることが多い。よくある話が東南アジアのスーパーでのレジ打ちの人である。だいたい皆さん、笑いながらレジを打っている。それも楽しそうに。特段決まった挨拶さえしない。逆に日本のレジは黙々と打ち続けている。もちろん楽しそうな話をしようものならお客様から早急にクレームを頂戴することができる。まさに辛いことを前提としている。つまり

仕事=プロフェッショナリズムが必要=苦しむことが必要

という等式が成り立つ。苦しいのがみんな大好きなのである。というのは多分嘘で、みんな嫌いである。正しくは苦しいことをして我慢をしている人、が好きなのだろう。人が我慢をして金を稼ぐ、社会に貢献する、成功することが重要なのである。例えばとある有名人のように楽しんで金を稼ぐ、と言っている人は人々はとことん嫌いである。

この感覚は世界のマイノリティなのだろうか。答えはわからないが、そうではない人々・文化が確実に存在するのは確かである。シンガポールの友人は今日は忙しいな!といって五時に帰る。インド人の友人はおしゃべりしながら夜の11時まで働く。ポルトガルの友人はシエスタをしそうな雰囲気を出しながら8時~19時までみっちり働く。もちろん個人差もあるし会社差や業界差、文化差もあるだろう。我々の意識の根底にある、苦しむことが人生であると説く佛教においては当たり前のことなのかもしれない。

また、日本の会社組織では一人でも苦しむ厨がいることで全体の雰囲気が苦しむ方向へとあっという間にすべての向きを変える。特にリーダーがそうゆう人だった場合、尚更である。苦しさを前提とした活動のみの会社で、他に選択肢がないのであればこのアプローチは働くのだろう。まさに高度経済成長期における日本の会社たちのように。

未だに日本の中年以降の、特に男性(バイアスだが)はこの傾向が強いのだろう。それこそ仕事中に話していたり上司は部下につらく当たるものという前提を強く持つ。そんなことをして若者が辞めると辞めたやつがけしからん、となる。前提が違うのだ。

ただ、上記したのだが決して価値観として悪いものであるとは思わない。価値観とはそうゆうものである。何がわるい、というわけではない、違うのである。ただ違うだけだ。そこに上下はない。

私自身が一番問題だと思うことは日本のほとんどの人が苦しむ職場や組織以外をあまり経験していないことである。お金を稼ぐこと、プロであることの定義が一辺倒なのである。これは監禁された人がその場所から出たくなくなる、という感覚に同じではないが近いものだろうと思う。実際にその中に居続けることで、例え外が良い世界だとしても変わること自体を恐れてしまうからだ。違う価値観の中で働くことを一度でも経験をすると自分自身に刷り込まれた感覚に対して疑念を持つようになる。もちろんその後に自分自身が好きなほう、感覚的に正しいほうを選べばいいのだろう。


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