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おぬしはセコイ

弟は羨ましい。兄はしばしばそう感じざるを得ない。

(以下は完全なる兄のエゴイズムな発言にすぎない。)

弟は兄から様々な”きっかけ”を享受することができる。

それはもう本当に様々で遊び、知識、経験…など。

しかし最も兄が腹立たしいと思うことは、兄が自ら時間を掛けて探し当てたものを、弟は兄に影響されそれをいとも簡単に始めるきっかけとすることである。

「おぬし!それは兄がやっていたのをみて興味が湧いたのだろがぁ!」
「兄の存在がなければおぬしはそれに対し自ら時間を掛け、独力で探し当てることになるのだぞぉ!」

兄はたまらなく腹が立っている。

それでもって早期に始めた弟は開始時期が早かった故に最終的にはそのスキルが凄まじく、兄に比べ大きな成功を収める

兄さん。なんて不条理な世の中なんだろう。憐憫の情を抱く。
(しかし兄の発言は止まることを知らない)

「あの馬鹿親のせぇで…。あの勉強嫌いな馬鹿親が私の科学の芽をむしりとったんだぁ!」

「目にしていただろう?!私が幼少のころドラマガリレオの中で黒板に書かれていた数式の羅列に興味を持っていたのを!主人公があらゆるところに数式を書きなぐる姿に食い入って見ていたのを!」

「まぁ当たり前か。自分の嫌いなことを自ら我慢して子に教える努力なんぞしやせんか。」


こうして兄はただ沈んでゆく一方、弟は様々な術を幼少の時期から学んでゆき、兄・弟の語の存在意義を不明瞭にする。

「さぁ弟よ!羽ばたいてゆけ!」

弟を後押しするための兄・弟という語の存在意義なのか…。

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