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ヤニカス・ニコ中のくるしい喫煙人生

諸君、私は煙草が好きだ

メンソールが好きだ
ライターで火を付ける瞬間が好きだ
マッチを擦った時の匂いが好きだ
煙草を口に咥えて紫煙を吐き出す瞬間が好きだ

喫茶店で 居酒屋で
カフェで スナックで

人と馬鹿な話をしながら嗜む煙草が好きだ
原稿と睨み合いながら煙草を吸っている自分が大好きだ

でも本当は、辞められるなら辞めたいんだ。


毎度おなじみ少佐から始まりました。
こんにちは、ニコチン中毒のヤニカスです。

VERY WELL, THEN LET IT BE SMOKING.(よろしい、ならば煙草だ!)

なんて言えない時代、令和。
先日、煙草の値上げに関する記事を2本執筆しました。

どちらともヤフコメや5chの記事スレがまあまあ盛り上がり、書き手としてはそこそこ満足です。

記事中で「減煙中」と書いたので、その後どうなったのかも含め、私自身の喫煙・禁煙人生を前後編に分けて綴っていこうと思います。



序章:「自分は絶対に煙草を吸わない」と思っていた


1本目の記事公開後、フォロワーさんからこのようなリプを頂きました。


noteでは「私と〇〇」を語るところから入るのがお作法なので、それに則り語っていきましょう。


私の両親はヘビースモーカー。
父はLARK、母はフィリップモリス愛好家。両親揃って筋金入りです。

販売時の年齢確認など無い時代。
両親から「煙草買ってきて。お釣りはあげるから」と頼まれた子供はごまんといたでしょう。私もそのひとりでした。

子供の頃は喫煙者の両親に対して何も感じていなかった倉本幼女。
状況が一変したのは、小学校低学年の頃でした。

父親に肺がんが発覚したのです。

発覚初期はまだ父も入院せずに済んでおり、元気な姿を見せていました。
同居の祖母や祖父が真剣な顔をしながら、「煙草はもう辞めなさい」と父に言っていた記憶があります。

それに対して父が、「もう辞めた」と答えていたことも。


ところが、ある日のお出かけ日。
いつものように父の車の助手席に乗り、なんとなく開けたダッシュボード。

そこにはLARKのカートンがあるではないですか!

「おとうさん、たばこ、吸ってるの?」

怪訝な顔で尋ねる娘に対し、父はこう言い放ったのです。

「じいちゃんとばあちゃんには言うなよ」

素直で真面目な私は、帰宅して速攻チクリました。

「おじいちゃん! おばあちゃん! おとうさんがたばこすってた!」


当時の我が家の主権者は、偉大なる祖父。
その日の晩、茶の間の奥にある応接間で、父は祖父に烈火の如く叱られておりました。

流石にその後は完全に禁煙したものの、肺がんが進行してしまった父。
抗がん剤治療のため長く入院し、やせ細っていきました。

母(毒)に「お父さんいつ死ぬか分からないんだから!!」と恐怖感を煽られ、「おとうさんしんじゃうのやだ……」と怯えていた倉本幼女。

一連の流れにより、煙草=悪の図式がひとつ出来上がったのです。

結果的に父は何とか持ちこたえ、そこから15年経ってがんは消滅。
現在は高齢ながらも元気に過ごしています。
しかし「大好きな父親が死ぬかもしれない」というトラウマは、大人になった今でも染み付いたまま……。

そして、トラウマになるほどの恐怖感を植え付けた母(毒)もまた、とんでもねーヤニカス女でした。


「妻の役目」からも「母親の役目」からも逃げ出し、自分で立ち上げた社会事業団体の活動にのめり込んでいった母。
家ではいつも煙草ばかり吸って、怒っているか憂鬱そうにしているか。

母の持ち物はすべて煙草の匂いとヤニが染み込んでいて、嫌で仕方なかったです。
どれほど煙たい・くさいと訴えても、聞く耳を持ってもらえませんでした。

倉本幼女は少女になるにつれ、「母親」を全うせず自分を見てくれない、ヒステリーと暴力に支配されたヤニくさい女を嫌悪するように。

「私はこの女みたいにならない。私は絶対に煙草を吸わない」

そう固く誓っていたのに。自ら破ってしまったのです。


第一章:虐められ陰キャ女のデビュー

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(※‟デビュー”直前の写真。まだ髪の毛が長い)

記事中では「喫煙歴10年」と書きましたが、

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