【たっくん】雑記_065 型を理解する必要性について
文章を書くことに関しては、AIを使わないようにしなきゃな、と最近は思っている、たっくんです。
2月下旬、3月下旬に「金沢市民芸術村」で開催された「バージョンアップ演劇講座」に参加いたしました。
どちらかといえば、僕は舞台に立つ役者志望ではなく、脚本志望だったのですが、参加されていた役者志望の皆さまの情熱に影響を受け、自分もがんばらなきゃな、と思いました。
すごく充実した(計)8日間でした。とにかく学びになることが多かったし、楽しかったです。現実に打ちのめされる部分も多かったですが……。
役者志望の参加者の皆さまの活躍をこれからも期待しています。
さて、すべての講座を全部受けてわかったことですが、統合失調症を内包している発達障害者が、むりやり全部の講義を受講したので、それなりに学びがあった、はずです。
今から書く文章は、精神・発達障害にフォーカスしたものにしましょうかね。
いきなりですけど、人間が生み出す、あらゆるものには「型」があります。
「型」とは「線路」みたいなものであると言えるだろうし、「器」みたいなものであると言えるかもしれません。
それに適応・適合できない人間は、美しくなかったり、嫌われてしまったり、仲間はずれにされてしまうことだってあるかもしれません。
ただ、その型の好みは人によって様々であり、適応・適合できないという、自分の中の基準があったとしても、そんなに卑下するものでもないです。
自分が、自分の基準に当てはまらなかったとしても、逆に好む人もいるはずです。
世の中が美しい、と宣伝しているものが自分基準と違うことだって普通にあるし、僕も僕の基準を持っています。
人それぞれなのだけど、「世間的には」「一般的には」という言葉が日本社会に、はびこっているから、おかしくなるのですよ、いろいろと。
でも、その「世間一般の型」を理解することによって、精神・発達障害者の方々がそれを学び、うまく社会に適応・適合していく必要があるかもしれません。
そうしなければ、日本の社会でお金を稼ぐことは難しいだろうし、たとえ障害者手帳を持っていたとしても、2ヶ月に1回の障害年金じゃあ、とても趣味にお金をかけることはできません。
だから、多くの障害者の方々は、会社で働くか、給料の入る作業所に通うか……という選択肢しかない。
社会で生きていくためには、日本人の国民性を理解しなければいけないし、いわゆる常識のある人間にならなければいけない。
僕が通っているリワークスクール カラフル・金沢では、社会的な常識を理解するために、主に心理学系の授業をおこなっているので、利用者の方々の学びになっているはずです。
僕が、このnoteで授業みたいに書くことでもないでしょう。今まで僕が書いてきた記事は、断言系が多かったので、それを少しずつ弱めていけたらなあ、と思います。
どうして僕の記事には断言する内容が多かったのかというと、それも1つの「型」なのですよね。
正直、自分としては、そんな文章を書きたくない気持ちがあったのですが、「思います」をつけるよりかは「だ」「である」をつけたほうが記事に説得力が増すんですよね。
「そうなんだ」と信じ込ませることができるというか……そういう理由で使っていました。
今の自分は型に強いこだわりを持っていて、文章がすごく窮屈なんですよね。
もうちょっと気楽に書きたいんですけど、思うことを気楽に書きすぎると「この人は、なにを伝えたいんだ?」ってなるから、そこはちゃんとセーブしなくてはいけません。自戒です。
……脱線しつつあると思うので、少し軌道修正します。
たぶん、皆さまはアニメとか漫画とかゲームとかドラマとか映画とか好きだと思うのですけど、あれにも型があるってことはご存じでしょうか。
そういう物語のある創作物の型を理解することも大事です。
皆さまの好きなキャラクターと物語は、なんでしょうか。
どうして、そのキャラクターと物語が好きなのか。
なにが心に刺さったのか。
深掘りしていくと、いろいろわかってくるかもしれません。
僕はキャラクター自身をそんなに好きになった経験はないのですが、好きなキャラクターの属性としては「後輩」「妹」のような「年下の女性キャラクター」の属性が好きです。
話しやすいのは「年上の女性」ですが……まあ、そんな感じで、どうして、その属性が好きなのかを深掘りすると、なぜ好きなのか、なんで好きなのかを理解することができます。
皆さまも興味があったら、好きなキャラクターの属性を分解してみてください。
今、書いたのはキャラクターの「型」についてです。
物語にも「型」があります。
「神話の法則」だったり、「ドラマカーブ」だったり、「SAVE THE CATの法則」だったり、「貴種流離譚」だったり、もう、とにかく、いろんな「型」があります。
きれいに「型」がハマると物語が美しく見えます。
代々受け継がれて今も残っている昔話は、きれいな物語の流れができていて、誰でも知っている、愛されている……すべては「型」で、できているのです。
「型」を理解したら、人を理解できるようになるかもしれません。
今回は少し自由に書かせていただきました。
あまり、まとまってはいないと思うのですが、文章が長くなりすぎても読む方がつらいと思うので、いいところで終わろうと思います。
ここまで、お読みいただき、ありがとうございました。
(今回は文章を生成するAIを使っていませんよ……)