#107 自分さがしをやめたとき
大阪は都会だから、あんまり星が見えないよ。
校外学習で行った田舎のどこかみたいな、満天の星はたしかにないけれど、東京の空よりはずっとましだった。
母と兄と三人で、自動販売機まで散歩した。
もう少し歩けばヤマザキがあるのに。
あれは必ずしも、お菓子を買ってもらうことが目的ではなかったのだ。
なんとなく、外の空気を吸いたかったのだろう。
家族の空気が、そこにはあった。
西武池袋線、東長崎駅から徒歩8分。
終電を逃しても池袋駅から歩けるし、タクシーに乗っても痛くない程度の距離。
あの家賃ばかり高くてぼろいアパートは、今でも気に入らない。
でも、飲み会に明け暮れるわたしには、好都合な場所だった。
夜間の写真学校に通っていた。
バイトして、仕送りもしてもらって。
あれはね、学生時代をやり直したかったんだ。
生まれてこのかた、学校が楽しいという経験がなかったから。
写真の勉強をしたい気持ちに嘘はなかったよ。
でも、わたしは絶対に写真家にはなれないことを確信していた。
その確信を、打ち破ろうとはしたんだけどね。
在学中に、とある出版社のスタジオマンになった。
1週間で逃げた。
がちがちの上下関係、労働者ではなく「勉強させてもらっている身分」という居心地の悪さ。
小心者で人見知りのわたしが居られる場所ではなかったし、その仕事を身につけてどうしたいのか、というビジョンもなかった。
ただ、面接に持ち込んだポートフォリオを褒められたことだけは、ちょっと嬉しかった。
卒業したあとも、写真は続けた。
なにか賞でもとれば、満足できると思った。
やればやるほど、自分の歪みが見えてきた。
わたしは自分の写真が大好き。
でも、他の人の写真は見ない。
興味がなかった。それが致命傷。
無知すぎて、伝えたいことがわからない。
それがトドメになった。
わたしは自分の写真から、自我を排除することにした。
富士フィルムのティアラズームというコンパクトカメラを持っていた。
一眼レフでもデジカメでもなく、これを使おうと思った。
それは、フィルムを装填後に全て巻き上げ、撮影する毎に一コマずつパトローネに戻していく、ちょっと変わった仕組みのカメラだった。
撮影し終えたフィルムをもう一度引き出して、装填し、撮影する。
それを4回くらい繰り返す。
いわゆる多重露光だが、一般的な多重露光と違うのは、どんな絵が写っているのか、さっぱりわからないところだ。
現像からあがったネガをスキャナで読み取る。
スキャナが正しい色味を判定できないが、むしろそれがいい。
macのディスプレイに画像が表示される。
天才的な絵だ、と思った。
それから数年後に、生活苦で写真をやめる。
いま振り返れば、このくそみそな写真に当時のわたしの苦悩や諦め、焦燥感とか、そういう感情がよく写っていると思う。
この一連の写真のタイトルは当時、「僕なき世界」ということにしていた。
いま名前をつけるなら、きっとこう。
「自分さがしをやめたとき」
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