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番外編 私の信仰はイスラームです

どんなことでもあけっぴろげに、おもしろおかしく語って発散し、スキをもらって「あぁ、まだ生きられる」と思いながらも、読んでくれた人には「こんなやつが生きていられるんだから、私が生きてたって全然OKだな」って、思ってもらいたい。

私のnoteは、そうしたことを意識して書いています。
自分のためが99パーセント、もしかしたら誰かを勇気づけたり役に立てたりするかもしれない、という期待が1パーセント。
そんな塩梅でやっています。

noteはX(Twitter)と違って治安がいいですし、だから基本的にタブーはナシで、書きたいことなら何でも書くよ、というスタンスなのですが、このお話ばかりはnoteのネタにはすまい、と思っていたのが表題の件です。

私の信仰はイスラームです。
2世ではなく、自ら望んでシャハーダ(信仰告白)を行い、帰依しました。
理由は「金や会社や国家より、もっと超越したすごいことを信じていたかったから」ということと、一神教の目線で世界を見てみたかったからです。

私は豚肉を食べますし、礼拝も断食もしていません。
髪を隠したりしませんし、婚前交渉にも同性愛にも肯定的です。
クルアーンは字義通りに解釈するのではなく、その精神を汲み取るべきだと考えているからです。
ただし、それでは過激思想も捉え方ひとつでアリになってしまうので、イスラーム社会では勝手な解釈は禁忌(解釈に迷う場合の判断は、イスラーム学者が行います)とされていますが、私の行いが正しかったかどうかは、死後に裁かれて分かることです。

イスラエルとハマスの、パレスチナにまつわる連日の報道について。
「領地をめぐる安全保障上の紛争」という側面よりも、「宗教対立」が主だと捉えられている方が多いように感じます。
私も専門家という訳ではありませんし、宗教対立の要素もおおいにあるので、そこまではまだ良いのですが、やはりというかなんというか「イスラム教はテロ集団だからな」と、西欧社会が作り上げたイメージを強化させている人を見かけてしまいます。
そのため、これだけは言うべきと感じて我慢ならず、投稿することにいたしました。

世界には18億ものムスリム、ムスリマ(ムスリマは女性形の表現です)が暮らしています。
彼ら、彼女らは狂信者やテロリストではありません。

どうか、昨今の一連の報道でまた、イスラームを安易に戦争やテロと結びつけることはおやめください。
ステレオタイプが差別を生み、差別は新たな紛争の種になります。

本稿は、ちょっと勇気を出してみた、私のジハード(個人の内的努力、という意味)です。

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