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#128 わたしはどう生きるか

 12月29日、12時ごろ。Uber Eatsでステーキを頼んだ。記憶にあり。美味しかったが、その夜ODして台無しに。

 12月30日、0時頃から4時頃まで。#127を書き殴っている。読み返してみると、どうでもいい話題のはざまに自分の本音が透けてみえる。わたしはみんなの記憶に残りたい。

 12月30日の昼か31日の朝?記憶が曖昧。オカメインコのぴーちゃんを鳥かごから出す。思いっきり手を噛まれるが、肩には乗ってくる。そのままベランダに出たら、飛んでいった。暖冬とはいえ、君ではこの季節を越せないだろう。それどころか、餌の取り方も知らないだろう。10年ちょっと、一緒に暮らした最後がこんなのでごめん。

 1月1日、12時ごろ。またもUber Eatsで睡眠改善薬とチーズケーキを頼んでいる。記憶なしだが、薬の空き箱はあるので飲んだのだろう。同日、Amazonにも同様の薬を注文していた。こちらも記憶になし。

 おそらくは、ぴーちゃんとさよならした後に、処方薬も市販薬もありったけの睡眠薬を飲んだ(それがいつかは思い出せないが、確実にやった…どえらい量を飲んだと思う…)のに、目覚めてしまい焦って買い足したのだろう。

 1月3日、朝。あれ?なんで生きてるの?という感じで目覚める。ベッドの柵にしっかりと結んだハングマンズノットに首を入れて、ぐっと締めていたはずだし、実際そうなっていた。思っていたより紐が伸びて、体重がかからなかったようだ。

 狼狽した。生きてちゃ困るんだ。お金も使っちゃったしインコも逃した、最後に何かいいものをと思ってステーキも食べたじゃないか。

 実は、他のよからぬ手段も用意していた。でも、ベッドの上で布団にくるまっていたかった。だから、朝から何度も何度も、結んで、気を失って、気づいたら2,3時間経っていて、同じことをやっても失敗するだろうに、繰り返し繰り返し、やった。

 20時46分のつぶやきで、いったん落ち着こうとした。コンビニでたばこと、フランクフルトとゼリーを買う。食べた直後、胃腸が動く音がする。がっついたが、それ以上食べるのも無理なようで、ちょうどよかった。

 助けてって、言うべきなんだろうな。助けを求める相手は誰かと考えていた。こんなときだけ都合よく母の顔が浮かぶ。きっと、記憶よりずっと老いているだろう。あるいは、生きてはいないかもしれない。それに、何を助けてもらうのだろう?お金?そりゃまあ。

 でも、今のわたしでは、山ほどお金があっても死ぬと思う。もはやライフプランなど問題ではなく、死ねなかったことで、生きている苦痛が増大した気がするためだ。やり遂げなければならないことを、しくじったのだ。だから保護、してほしい。

 やっぱり書くというのは大事なようで、そうだったのかといま気づいた。自暴自棄になっても希死念慮に襲われようと、大丈夫な場所で保護してほしい。大阪の実家に帰りたい。あそこに住みたい訳じゃない(劣等感や恥ずかしさに耐えられるだろうか…?)けれど、つまりは今ここにいると、わたしがわたしに危害を加える事が止められない、ということ。

 ところで、今日は仕事始めだが、わたしにとっては仕事納めからワープしてきたかのような感覚しかない。この年末年始はいろいろな事故や災害があったようだが、昨日の夜まで全く何も知らなかった。今日は一応、リモートで仕事をするつもりであったが、頭が朦朧として無理だった。新年早々に休むのは申し訳ないが、優しい上司で助かった。

 この仕事、正直なところつまらない仕事だとは思っているのだが、派遣社員から始めて正社員になるまで、30代をかけてまともな社会人になろうと軌道修正をはかった、その証のような職である。常識的なコンプライアンスと福利厚生があり、年収も世代の平均に準じている。

 もしこの職を失ったら、もう同じような立場を得るのは難しいだろう。高齢の派遣社員がプライドを押し殺して働く姿をたくさん見たし、そうした人をクビにしたことすらあったではないか。とはいえ、もう以前のようなパフォーマンスは出せる気がしない。

 鏡でみると、首吊りの痕がしっかりとある。少しの頭痛と、もやのかかった冴えない感じがする。そういえば昨日の夜コンビニに行ったとき、いろんな灯りがめちゃくちゃ眩しかった。あれも何かの影響だろうか。今日の昼食は普通に食べた。これを投稿したら昼寝をしたい。

 わたしはどう生きるか。やるべきこと。正しい服薬を再開する。サインバルタ30mgとレクサプロ20mgだが、これはODしなかったので手元にある。

 自己破産の手続きをする。2度目になるが…前回から10年以上経過しているうえ、心療内科の通院歴と爆買いの履歴が重なるため、依存性だと説明できれば可能だろう…実際、発病前はちゃんと暮らせていたのだ…しかし問題はそれ以上に、一連の手続きは精神的にかなり落ち込むことだ…そういえば、わたしはFP3級を持っている…なのにこのざまである…

 医者を変える?ずっと同じ心療内科に通っているが、正直なところ信頼関係がない。たとえばわたしがnoteに書いているような話は一切しないし、調子を伝えて薬の増減をするだけなのだ。わたしからいろいろ話せば変わる問題なのか、その病院はもうそういう対応なのかわからないが、別の病院に変えてもいいかもしれない。

 ゴミ屋敷問題。片付けるしかないのだが、途方に暮れて死にたくなる。人の力を借りてでもなんとか片して、最終的にはこの部屋から退去したい。家賃が馬鹿高くて無駄に広い(その広さがまた、ゴミに占有されているという…)

 それらをなすための精神的な問題結局、ここがボトルネックだ。どうしてわたしが死にたいのかを掘り下げていくと、可能か不可能かという以前に、それらと向き合うことに耐えられないという問題が立ちはだかる。もっとも、現在では体力的な問題もある。信じられないほど体力が落ちている。

 恋愛とか結婚とか幸せとか。ここまでの問題が片付いたうえ(それを奇跡、という)で、もっと未来に希望を持てるようになったなら。わたしはこのようにして生きたり死んだりしてきた人間で、あなたと一緒に生きてゆきたいですと、いいたいね。それがいつどこの誰に言う話なのかは置いといて。過去の恋愛って、いつも本音を隠す付き合いだったから。

 ぴーちゃん。怖くて寂しくて鳴いてるかな。
死んじゃったかもしれないし、飼い主失格だし社会人としても外来種を捨てちゃうって問題あるよな。誰かの肩にとまって、保護されていればいいのだけれど。

 わたしのnoteはさながら限界中年リアリティショーになってまいりました。生きるべきか死ぬべきか、ハムレット状態です。

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