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#251 計測することをやめてみる

 睡眠時間や歩数を計測するために、スマートウォッチを愛用していた。ついでに心拍数やストレス値を測ってくれたりするし、一般的な腕時計より断然安くて高機能。着用しているだけで自動的に記録されるのだから、これを使わない手はないと思っていた。

 同じく、カロリーコントロールのために食事内容を「あすけん」アプリに記録していたし、毎朝体組成計に乗ってもいた。服薬歴やメンタルの具合(気分)も手動でスマホに記録していた。やはり、療養中の身である。できる努力はしておこうという前向きな気持ちからそうなった、というわけだ。

 しかし、うすうす気づいていた。記録のやり過ぎもまた、メンタルを害するということに。薬は飲んだのに、記録を忘れたせいで「本当に飲んだのか?」と不安になる。記録する項目が多いと、そのようなことがあちこちで起こる。睡眠時間や歩数のように、自動的に記録されるものでも多少の害がある。目標を達成したのかどうか、ということを気にしてしまう。

 それらは必ずしも、わたしの健康状態を数値化したものではないし、目標達成の努力はあくまで医師との話し合いに基づいて行うべきだと分かっているのに。更には、自分の体の異変は外部のデバイスではなく、自分自身でよく観察しておくことが何より大切なのに。

 最近読んだ本『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』によると、どうやらわたしの違和感はある程度当たっていたようだ。

人間の依存症や強迫行動を考えるにあたっても、本当は停止規則——「どうすれば止めるのか、なぜ止められないのか」——が大きな意味をもっているのだが、そのことは往々にして見逃されている。

実のところ、人生を容易にする新しいテクノロジーは、停止規則を反故にする力があるのだ。アップルウォッチやフィットビットのようなウェアラブル端末は運動の履歴を追跡してくれるが、その一方で、身体が示す疲労のサイン(停止規則)に気づく力を阻害する。

以前の章で紹介した運動依存症の専門家、キャサリン・シュレイバーとレスリー・シムは、ウェアラブル端末が依存症状を悪化させると考えている。 シュレイバーは私の取材に対し、「テクノロジーは、人にものごとを数字で考えさせるのです」と説明した。

「何歩歩いたか、レム睡眠は何時間とったか。そうした数字に着目するよう促すのです。私はこうしたデバイスを1個も使っていません。私の性格から言って、数字が気になって気になって精神的に追い詰められるに決まっていますから。それが依存行動の引き金になるんです」 シムは、フィットビットをカロリー計算にたとえている。 「カロリーを計算しても体重は減りません。カロリーの数字に対する執着が生まれるだけです」

カロリー計算をしていると、食べているものに対する勘や感覚が働かなくなる。ウェアラブル端末も同様で、シムに言わせれば、それを着用することで身体活動に対する感覚が鈍くなる。

『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』 より引用
筆者にて改行を行った

 というわけで、自発的に記録するのは家計簿だけにして、ヘルスケア系のデータはあえて記録・収集しないことにした。ときどき病院で血液検査を受けているし、たまに体組成計に乗るくらいでいいだろう。

 「治療の対象にならない依存症」に興味がある。ハマる、癖になる、やめられない。現代のビジネスのなかに、そうした脳のクセを悪用したものが相当ある。まさか健康器具の類ですら、その可能性があるなどとは思いもよらないことである。今のわたしには、心配事を減らすことが優先される。所謂デジタルデトックスに近いが、効果のほどはまた十分な時間が経った後に報告させていただきたい。

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