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「あんたなんか産まなきゃよかった」「あんたから生まれてきたくなかった」~親と子の絆~

あるマンガのコメント欄で、結構パッキリ意見が分かれている賛否両論な意見を見かけました
そのマンガである人が精神的疾患を患っているがゆえに「あんたなんか産まなきゃよかった」ともとれる内容のセリフを発していることが発端です

「そんなこと病気でも言ったり思ったりするなんて最低」
「親失格」
「そもそも感情だけで子供作るなよ」
「きっとこの人の子供からしたら"自分もあんたから生まれてきたくなかった"って思うだろうな」

という内容がおおまかな批判意見の内容。
それを読んで色々なことを感じ、勉強させてもらったので以下その内容を詳述します


【その人その人の立場によって感想が変わる】

子供を持つかどうか、出産するかどうか、ということへの考え方は

自分が子供の立場=未成年・独身でも子供を持った経験がない、子供が欲くないという考えの人等
子供を持つ親の立場=子供がいる人(実親・里親同じ/里親の場合は「あんたなんかに育てられたくなかった」に言い換えると同じような感情になるかと)

という、現時点での年齢や職業(学生or社会人)や、その人の「子供が欲しい」「子供はいらない」という人生観の違いで、多分子供の立場で意見を述べるのか、親の立場で意見を述べるのかという大きな違いがあると感じました
実際コメントされていた方がどういう立場にあるかはわかりません
でも、そうだろうなと分析できるその根拠は、私自身、そして私の旦那の意見・体験が元になっています

今一度、親の立場にいる読者の方には、子供の頃の気持ちに戻ってみて欲しいと思います
「子供時代がなかった」という人はいません
そして、親がいない子供もいません。人は必ず誰かから生まれてきます
だからこそ、「あんたなんか産まなきゃ良かった」という暴言のインパクト、それによって傷つく感情は多分ほぼ人類全員が共有できる痛みのように思います

ただ、子供を持った立場としては、親の立場・親の気持ちも理解できるようになりました
勿論まだ子供が幼く、親としてはまだヒヨッコの私からすれば私もまだわかっていないもっと深い親の愛情・感情もあるかもしれません
子供ができて、子供と共に生活して、わかる気持ち・感情が沢山あります
多分この感情はご自身では子供を産んでいないけど、という里親さんも同じだと思います
脳の中の思考パターンが、ある時を境にガラッと変わったかのようなんですよね

【そもそも子供を持つことは、効率とか理屈で考えたら不要論になる】

女性であれば、妊娠出産というのは自分の体に負担があり、しかも出産は誰もが知っているように「男性では耐えがたいと言われるほどの激痛」を数時間~10時間超に渡り体験することが誰でも分かっている訳です。
妊娠中もできなくなることは多く、食べ物に制限があったり、体調が悪くても薬を飲まずに耐えることだってあります。
きっと夜陣痛が始まれば徹夜確定でしょうし、産後も下腹部の痛みは残ります。帝王切開での出産の場合は子宮が産後縮むのにできたての傷がある為、産後も数週間に渡り激痛であったと友人が言っていました。
子供を持てば、赤ちゃんであればすべての時間をその子のタイミングに合わせなくてはいけません。睡眠も、仕事も、生活も何もかもです。
赤ちゃんは人に合わせることはできないから。不可能だから。
育てば子供と親であっても人同士、喧嘩もするでしょう。学校に行くようになれば色々な費用がかかり、高校大学に至っては私立に入れば年間100万以上の学費がかかります。
子供一人あたりにかかるお金は1,000万円という有名な言葉もあります
子供が大人になっても、色々な面で親は子供をサポートします。お金を貸してあげることもあるでしょう。子供が妊娠出産したら育児を手伝わなくてはいけないこともあるだろうし、かといってその子供が自分の老後を必ず面倒をみてくれる保証はありません

だから、上述した「そもそも感情だけで子供作るなよ」という言葉は、理屈や効率で考えたらそもそも子供は非効率的であり、その学費1,000万円と、子供を育てるのにかけた時間(子供のために3時間置きに起きて授乳をし、ある程度成長するまでは何を口にするか、突然車の前に飛び出すかわからず、目を離すことさえできない。自分の時間が取れない)を全部自分のためや老後の資金にした方がはるかに「効率的」で「合理的」なのです。

だから、今これを読んでいる子供の立場にいる読者の方に伝えたいことがあります
子供が欲しいという感情は、そもそもが100%感情論なんです
子供が欲しいという気持ちに理屈なんてありません。もはや本能に近いのかとすら思えます。お腹がすいたら何か食べたくなるように、人によりタイミングは違うと思いますが、適齢期になったら、子供が欲しいと感じるようになる。それに理屈なんてないです
子供の立場の読者の方からしたら、そしてもし自分がまだ子供を持ってなかった、欲しいと思えなかった時期にこれを読んでいたらきっと「なんて自己中なんだ」と憤慨されてしまいそうですね
でもそれが現実です。
少なくとも私や私の旦那からしたらそうです。
子供を持つこと自体が、現在の資本主義的な合理性や効率性重視の考えを貫けば「非合理的」で「非効率」だからです

ただ子供が欲しいという考えが100%感情論であるということを、ネガティブな面だけでなくポジティブな面で捉えれば、生まれてくるほとんどの子供が望まれて生まれてきている、ってことだと思います。
しかも子供はいらないという考えの人であっても、妊娠すると気持ちがコロッと変わって、「この子を産みたい」という気持ちになることも多いです
実際ヒモと付き合ってて妊娠してしまった友人が、「この人とは結婚できないとわかっていても産みたい」と涙ながらに語ったものの、現実的に不可能だったためやむを得ず中絶した姿を見ました
あまりにも痛々しい感情が沢山見てとれました

「本能的な気持ち」というのは、うまく代弁できないのですが、本当にお腹がすいたら何か食べたくなる、喉が渇いたら何か飲みたくなる、それがどんどん得られなければどうしてもそれを得たくなる。
そんな気持ちに似ているとしか言えません
100%感情論で子供を産み育てる。その気持ちはもう本能的な気持ちとすら言えると思います。脳がもう勝手にそういう思考になる。

しかし、子供を持つ親になったからといって、不完全な存在である私たち人間は、何も変わらないんです
親も不完全で、失敗もするし、間違いもする、ただの人間です
習った内容であるはずなのに「テストで100点を毎回必ず取る」ことができないのも、人間が不完全な存在であることの証明だと私は思います。
人間誰もが間違えるし、完全ではない
それは親の立場になった人間だって同じなんですよね

ここまでだいぶ親の立場の考えを擁護してきましたが、親の立場からすると一番辛くて自分の存在さえも否定されるような気持ちになる言葉があります
それが、子供の時に言われた「あんたなんか産まなきゃ良かった」という言葉と同じかそれ以上のインパクトで人を打ちのめします
それが「あんたから生まれてきたくなかった」(「あんたなんかに育てられたくなかった」)です
私も子供の立場で生きていた頃には、その言葉の重みも痛みも全く理解できなかったからこそ、今少しでも親の立場が理解できるようになった私から言える
もし娘からそんなこと言われたら…例え感情的だったとか、間違えて言っただけだったとしても胸が潰れてしまい、もう自分の存在すら最愛の人間から否定されたような気持ちです
そしてその痛みの重みは、子供の立場の時の私が「あんたなんか産まなきゃ良かった」という言葉で傷ついたあの重たい気持ちとほぼ重なるような気がします

ではなんでこの2つの言葉こんなにも重く痛いのか
きっとそれは、親は子が大好きだし、子は親が大好き、それに理由なんてなく、あえて言うなら本能とさえいえる気持ちで、繋がっているからなのでしょう

私は父から愛されませんでした。父は多分私(子供)のことはいらなかったと思います。元々子供好きでもないです
だから言葉の端々でずっと「お前なんかいらなかった」というのをひしひしと感じながら育ちました
辛かった。痛かった。優しくされた記憶のない父でさえ、私は大好きでした
それに理由なんて、きっとなかったです
そして育っていくにつれ、父を憎むようになり、そして父から愛され必要とされることを諦めるようになりました
そうやって自分の心を保つ術を自然と覚えていったんだと思います
父に愛されたいのに愛されないからこそ、愛してくれない父を憎んでいた時期があったと今ならわかります
このような辛い経験をしてきたからこそ、私だって父から生まれたくなかったと思った時期もあったように思います。今は完全に諦めてしまっているのでもうわからないんですが。
子は親を選べないから。
でも親だって子は選べないですよ?
子供を作るか作らないか、産むか産まないかの選択ができるだけです
親だって、どんな性格の子がいいとか、性別はどちらがいいかさえ選べないんですから

そして今親の立場も理解できるようになってわかるんです
父も、親も、私も、全然完全なんかじゃない、ただの人間であることが。
私は子供を産む前も、産んだ後も何も変わらない不完全な人間です。

間違いのない人生ではなかったし、これからも間違えることはあるでしょう
だから精神的に追い詰められれば、もしかしたら思ってもいない「あんたなんか産まなければ良かった」というような言葉がぽろっと口から出てしまうかもしれません
絶対的に子供を愛しているけれど、それは不完全な人間だからこそ、絶対に言わない思わないと断言できないです

ちなみに「自分は完璧だ」と思い込んでいる人は多いです。
なので、そういう風に思い込むむことができてる人は「私はそんなこと言わない・しない」と断言するかもしれませんが、じゃあ学生時代完璧な貴方がなぜ全教科100点を取れなかったのか?完璧じゃないじゃないか、と言いたいです
人間関係も、仕事も、勉強も、スポーツも、何もかも100点で生きている「完璧な人間」などというものは存在しません

あり得ません
たまたまその分野が苦手なだけだ、と言い訳をしても「てことは完璧ではないということだね」という反論には勝てないでしょう
あくまで、「自分は完璧だ」と無意識に思い込んでいる人が一部いるというだけです

話が逸れました


親子のお互いへの気持ちはとても強い。だからこそ

「あんたなんか産まなきゃ良かった」
「あんたから生まれてきたくなかった」

という2つの言葉はお互いに言われたり、言ったりすると酷く重たく悲しい気持ちになるのでしょう
でもこの悲しみの深さの分だけ、子は親を愛し、親は子を愛しているという、絆の証なのかもしれない、と思います

望んだ妊娠であれば妊娠中のつわりや出産時の激痛に耐え、生まれてきた子の顔を見た時に嬉しくて涙が止まりません
望んでいない妊娠であっても、人によっては「やっぱり産みたい」と思う人が多いほど、やはり親は子を愛しています
(ただし、人間は不完全であり、色々な人がいるがゆえに、例外もある。私の父のように)
子は子で、どんな親であっても、自分に優しくしない親であっても、そこに理屈などなく、無償で親が大好きです
その見えないけれど深い絆の分、この2つの言葉が重たく「言ってはいけない」「そんなことを言ったり思ったりするなんて最低」と思うのでしょう

しかも、年齢性別関係なく、親になるという心理的体験をしていないと、親の立場の気持ち、そして親の子に対する深い愛情や気持ちを体験することがない
それが、子の立場にいる人と、親の立場も経験している人との間にある深い溝であり、そこにまた悲しい出来事が生まれるのでしょう

私も子供を持って初めて感じた感情は数知れず、娘に教えてもらうことも数え切れません
日々流れてくるニュースを見る目でさえ変わりました
例えば直近で言えば、高齢者による池袋の交通事故で奥様と愛娘を亡くされた遺族男性の気持ち。
親の立場を経験したからこそ、もう生きていく希望さえなくなって絶望しただろうと、今もどんな気持ちで息をしているのかと思うと…もう自分の体を引きちぎられるような痛みだと思います
自分がある日突然旦那と娘がいなくなったら…なんて考えただけで死にそうになります
でも子供の立場しかまだ経験していなかった頃だと、可哀想だとか、辛いだろうとか想像はしますが、痛みの深さが想像できてなかったかなって思います。親の気持ち・感情をまだ味わったことがなかったから、自然です。それを責めようとは思いません。
人は自分の経験した感情以上の想像はできないと思うから。
そうやって自分が子供の立場で見ていたニュースと、親の立場も経験して見るニュースにはこんなにも違うんだな、と強く感じる出来事でした

そしてきっと、親の立場の経験を積んでいくにつれ、子供の立場の時に感じていた気持ちを忘れていってしまうような気がしています
それは実際自分の親を見ていて感じる

きっと父も、自分の両親に自分を否定されたらどんだけ深い悲しみを抱えていただろうとか、子供時代だったらわかると思うんです
でも父は、親の立場にはなったものの、心が全く親になることができず、かといってもう社会人経験・大人としての経験が長くなったがゆえに、子供の頃の気持ちさえ忘れて自己中心的に生きている。
心ない言葉もぽんぽん吐きます
それもまた、父が不完全な人間であるがゆえなのでしょう

人は自分の経験した感情以上の想像はできない
けれど、親と子の絆はこんなにも深い

タイトルにあるこの2つの言葉は、単純に、わかりやすく、それを痛感させてくれる言葉なのかもしれません


こんな長文を最後まで読んでくれて本当にありがとうございます
最後に、このコメントと出会えたことで学んだこと、そしてこれから心掛けたいなと思ったことを書いて終わりにしようと思います
私が子供の時きっと言われたら嬉しかっただろうから、そしてちゃんと言葉にしなきゃ気持ちは伝わらないと思うから、娘には思った時、言えるタイミングでできるだけ沢山「あなたを産んで良かった」「あなたに沢山教えてもらった」「大好きだよ」と言っていきたいなと思いました
子供が成長しても。
冗談ぽくでもいいから。
口にし続ければきっと、自分がどんなに子供にとって理解不能な言動をしてしまっても、愛してる気持ちが伝わると信じて。
そして今、娘をこんなにも愛していて、抱きしめてるだけで幸せな気持ちになれることを、ちゃんと態度だけでなく言葉でも、伝えたいなと思いました
そして、こうして子供を抱きしめることができる、体温を感じて、コミュニケーションができることが、幸せなんだな、ということも、改めて感じました。

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