37歳で心臓発作が起きた話
私は毎日早起きをする。5歳のわんぱく双子育児と週数日パートタイムの仕事をしているので、朝の時間を一人きりでご機嫌に過ごすということが、自分にとってとても重要な時間になっているのだ。読書をしたり、動画を見たり、掃除をしたり、日によって過ごし方は違うけれど、ここが有意義でないと良い1日が過ごせないと本気で思い込んでいる。
その日は休日で、いつものように早朝の一人時間を過ごした後、起きてきた夫と一緒に、普段はあまり食べない朝食を食べた。8時半に近所のパン屋までわざわざサンドイッチを買いに行き、丁寧にブラックコーヒーを入れて、いつも以上にリッチで上機嫌な朝を過ごしていた。
上機嫌の理由は夫が転職して初めての土曜日で、ずっと続いてきたワンオペ休日の朝からついに開放される日だったからだ。さあこれから子供たちを連れて4人でどこに出かけようかといつになくウキウキしていた。
そんな楽しい朝食の後、食卓から立ち上がった時に何の予兆もなくそれは起きた。突然激しい動悸とともに目の前が真っ暗になったのだ。
「これはもしかすると心臓発作なのでは・・・。いやまさか、私はまだ30代で健康だし、そもそも今日は朝からとても良いスタートをきってるから、絶対に大丈夫!!そんなはずはない!」と必死に言い聞かせながらも気づけば私は救急車に乗っていた。
脈拍200回/分、暴走する心臓は止まらない。止まる気配すら全くない。100mダッシュした後のように息切れして呼吸がうまくできず、軽いパニック状態に陥っていた。次第に手足が硬直してきてこのまま死んだらどうしようかと絶望していたら、救急隊員さんからそれは単に呼吸が浅くなって、過呼吸で酸素を多く取込み過ぎていることが原因なのだと教えてもらい、落ち着きを取り戻す事ができた。
頻脈やパニックになった時は息を吐く方に意識を集中して、「吸った倍吐く」のがいいらしい。私の場合は鼻から吸って口から少しずつ吐くのが一番うまくできた。発作を通じて学んだこの知識は、人生最大に役立つものとなった。
そうして私の心臓にはWPW症候群という診断名がつき、2ヶ月後にアブレーションという手術をすることが決定した。アブレーションとは、首から1本と足の付け根から3本 カテーテルの管を通して、発作を起こす不要な血管を焼く治療方法で、最初から最後までずっと意識のあるなか行うらしい。
・・・怖い、聞けば聞くほど怖すぎる。
そんな怯え上がっている私に対して、一切目線の合わない小さな声の先生が、心臓の話題となれば生き生きとしながら、素人には少し詳しすぎる説明を延々としてくれていた。
さあここから2ヶ月間、自分との戦いが始まる。手術に怯える日々は私を驚くほど行動的にした。普段の消極的な自分とは打って変わって、初めてのチャレンジというものに興味が沸いた。とにかく生きることに積極的になった。それは決して死ぬかもしれないという恐怖からくるものではなく、死ぬほど怖いことに挑むために少しでも自分をいろんな方向から強くしておきたいという、修行のような感覚に近かったと思う。
免疫力を上げるために食事について研究を始めて、今まで大嫌いだった運動、ストレッチ、筋トレを始めた。インドア文化系代表として今まで生きてきたので、初めての腹筋ローラーでは体勢を崩して顎を縫う大怪我をした。(この時生まれて初めて厄払いにも行った。)病院で怪我の経緯を説明しながら、痛みと情けなさで涙が止まらなかった。
だがそんな事はどうでも良いと思えるほど、体力面、精神面において間違いなく筋トレを始めたことは最強の行動だった。
ここでもやはり苦しい時に自分自身と深く向き合う最善策は、呼吸に意識を集中させることなのだ。
あと5回あと3回あと1回頑張れ!と自分を励ましながら腹筋をしていると、余計な音も不安な気持ちも全て吹き飛んでいった。そして苦しさを乗り切った後には麻薬のような病みつき感と、幸福感、やりきった自分を好きになるナルシスト的な自信が生まれて最強になっていく気がしていた。
手術まで2週間をきった頃、私は想定外の別の恐怖を感じていた。突如巻き起こった新型コロナウイルスによるパンデミックだ。世界中で大混乱が起きていた。日本でも間も無く東京に緊急事態宣言が出されるくらいの時期で、(私は地方に住んではいるが)日に日に世の中の緊張感は増していった。免疫力と体力を早急に高めなくては大変な事になる!!と恐怖からちょっと頭がおかしくなっていた私は、この頃家族に当たり散らして迷惑をかけていた。
どれだけ不安でも逃げられないし、家からも出られないので、仕方なく筋トレのメニューを増やし、タンパク質にこだわった食事をたっぷり食べてその日まで備えることにした。外に出れないストレスも、手術と新型コロナウイルスの不安と恐怖も、筋トレと食事のおかげで半減した。
ついに迎えた2ヶ月後。結果からいうと手術は無事に成功して、死ぬほどの恐怖と引き換えにパワーアップした体と精神を手に入れることができた。
手術中とにかく一番きつかったのは、意識がしっかりとある中何度も頻脈発作を誘発させられることだった。もうこれ以上走れないから、頼むから休ませてくれってくらい息が上がってしんどいけれど、そもそも最初から体は拘束されていて全く動いていない。部活で鬼コーチに階段ダッシュをさせられているような、そんな不思議な感覚だった。
ものすごい速度で高鳴り続ける心臓を、ここまで鍛え上げた必死の呼吸法で見事に押さえ込み、なんとか恐怖の3時間を乗り切った。
体の核の部分が焼かれ「終了です」と言われた時の快感は今でも覚えている。筋トレ後にも感じるあの麻薬のような快感だ。まあ2度と経験したくないという点では違っているが・・・。
何はともあれとても高額で滅多にできない貴重な経験だったので、今回起きた数々の自分の心の変化を見逃さず、4つの小さな傷とともに心に刻みたい。
最後に
いつも目線の合わない静かな先生が、手術中は自信に満ちたハリのある声で、別人かと思うほど男らしく頼もしいキャラに変わっていたことをきっと私は一生忘れないだろう。
そんな偉大な先生と細やかなケアで寄り添ってくれた看護師の方々に感謝の思いを述べたい。
体が回復した今でも変わらず朝の時間は大切に過ごしている。変わったことといえば、早朝から筋トレをするようになった事くらいだ。なお、あれ以来一度も朝食でパンは食べていない。
#アブレーション #呼吸 #筋トレ #note初投稿 #キナリ杯
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