愚かなくらいがちょうどいい。

*きのうは、月亭方正さんの独演会へ。落語を生で聴くのは2ヶ月ぶり、そういえばこの前も聴いたのは方正さんだったかな。方正さんの落語、好きなんだよなぁ。間も、トーンも笑いも今風なんだけど、だからこそ落語の良さが光る。個人的に、今回の「蜆売り」のあの間には胸にくるものがあって、気付いたら涙が出たよ。

当日は前座の方の「時うどん」からはじまり、方正さんが「曽根崎心中」、間寛平さんが浪曲を披露し、小文枝師匠の「禁酒関所」、トリは方正さんの「蜆売り」。この蜆売りが、ほんっとうに良かった。2年前、神田伯山先生の講談を聴きに行った時も蜆売りをかけてくれてね、講談と落語の違いがよく分かっておもしろかったんだよなぁ。たしか伯山先生のは江戸のほうだから、最後に鼠小僧が出てくるんだけど。上方はあっさり終わるんだよね。

蜆売りは、子供、親方、番頭の3人で物語が進んでいくんだけどね、この番頭がおれはたまらなく好きなんだ。最初、子供を下駄泥棒とまちがえるところから始まって、たくさんいらんことを言っては、最終的には子供のいちばんの味方として応援するんだよね。最後の子供を見送るシーンとか、たまんなかったよ。「がんばれよ──!!」って、見えなくなるまで叫んでいてね。

落語には、愚かな人物がよく出てくる。愚かな人物だけでなく、愚かなことを犯してしまったエピソードが、笑いを足されて残っているものが多い。そういう「愚かさ」を教えてくれるのはひとつ、落語なんだよなぁ。そんなの、学校では習うわけないよ。ぼくの最近のキーワードは「愚かさ」でねえ。

親鸞聖人が「愚は知を持つ者にとって最後の課題であるが、愚者にとってはそれ自体である」と言っててね。愚かさというのは、まねしようとしてできるもんじゃないんだ。で、愚かだからこそ純粋無垢な部分ってあるじゃない。落語はそれがきれいにあらわれていて、たまんないんだよなぁ。やっぱり人間、ちょっと愚かなくらいがちょうどいいよ。


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