合理的なものと、そうでないもの。

*ただいま受けている授業で、民法だとか〇〇法だとか、人生で初めて法律を学んでいる。小難しいし、まさに食わず嫌いの典型であったが、いざ勉強してみると、意外におもしろいのだ。どこか数学やパズル的な要素があって、直感に反することが少なく、ほとんどが合理的なので、「よくできてるなぁ」とつくづく感じる。作った人、あったまいいなぁ。

何もないところから芽は出ないわけで。法律の一つ一つにはきっと、目的と理由がある。なぜその法律が、決まりが必要になったのか。そして、どのような目的で作られたのか。それを理解できれば、あんがいスルスルと理解できることも多い。もちろん、何年とか何歳とか数字は覚える必要があるが、それ以外の決まりについては、そのルーツを理解できていれば、けっこう解けるんだよなぁ。いわば、問題解決の手段として決めた仕組みなので、その問題(背景)を、どうすれば合理的に解決できるかを考えればいい。それらがアップデートを繰り返しながら、今も残り続けている。

・人間がつくるものすべて合理的だとは言わないが、社会的なもののほとんどは、やはり合理的につくられている。その「合理」の部分を理解していくと、おもしろいもんだ。そして、だからこそ、息継ぎのように「合理的でないもの」を好むのだろうな、とも。ピラミッドや大仏なんて、合理的っぽい後付けはいくらでもあるが、大きさも発想も、なんら合理的でなくぶっ飛んでいる。でも、ああいうの見ると、言い尽くせぬ感動をおぼえたりするじゃない。

計算され尽くしたものと、衝動的に出てくるものや規格を無視したようなもの(岡本太郎のキャンバスをはみ出せ!的な)、そのどちらもが、甲乙つけがたくおもしろい。甲乙つける必要なくおもしろい。そういう意味では、僕たちは富士山を見て「3776mだ!すげえ!」なんて驚き方、しないものねえ。そして作り込まれたものには、「とにかくすごいんだよ!」ってより、何がすごいか具体的に教えたくなるものねー。


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