いつだって帰り道のうえで。

*家を出て駅まで歩いているあいだに、ふと思い出すのだった。いつだってぼくたちは「帰る」ための旅をしているようなものだ。どこかへ向かったり、行ったり、足を運んだり、友人に会ったり、見たことのない景色を見にいくのも、すべてさいごには「帰る」がある。よくよく考えてみれば、目的地はゴールではない。折り返し地点だ。目的を達成したら、あとはホームに「帰る」んだからね。ゲコ。

そう思えば、すべての往路、つまり「どこかへ向かう」ことは、「帰り道のはじめ」だとも言える。ぼくらは常に、どこかへ帰ろうとしている道の途中、いや道中なんだね。どこかへ「向かう」ことは、目的や目的地があるように思うけれど、「帰る」ことにそれはあまり感じない。目的は「帰る」だし、帰る場所という目的地もあるんだけれど、そこに意義も意味も存在しないように思える。

すこし宗教めいた言い方になってしまうが、「生きる」ことも、「帰る」ことだと思ってみるといろんなものの見方が変わるかもしれない。生きること、つまり、今までの経験も、今感じているあれやこれも、これから出会うであろう人やことも、すべて帰っていく途中なのだ。どこかへ向かう途中にあるのではなく、すべて帰り道に起こったことだと、思ってみる。

誰かと出会うことも、別れることも、失敗を恐れることも、成功を経験することも、なにかを得ることも、失うことだって、すべて「帰る」あいだの出来事なのだ。目的地はさほど重要じゃない。旅立ったその瞬間から、帰ってくるまでのあいだにある時間がどんなものだったか、そっちのほうが大切なのかもしれない。そんなことを、ぼくは家を出て駅まで向かう道中、つまり帰り道のはじめに考えていたのだった。


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