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教えることとコミュニケーション

危険物取扱者の試験を受ける同僚がいて、酸化還元に関することを教えてほしいと頼まれた。前も教えたことがあるが、また違う問題で引っ掛かってしまったらしい。馴染みのない元素や化合物が出てくると、身構えてしまうのは致し方ない。

教える様子を隣で聞いていた別の同僚が「自分には教えられない」と言っていた。問題があれば解けるけれども、人に教えるのは無理そうだと。わからないと思っている点は、人によって異なるから、自分のやり方・スタイルを押し付けるだけで理解してもらうのは難しい。

学生時代、塾講師のアルバイトをしていたので、やり方を教えることが大事なのはわかる。しかし、どういうふうにわからないか、どう勘違いをしているかを見つけ出すことを明らかにすることが第一歩である。相手がわからないところがわかってしまえば、あとはそのわからなさや勘違いを解消すればいい。それで自ずと説明する内容は絞られてくる。説明すべき事柄がわからないのに、あれやこれやと情報を詰め込んでしまうのは、かえって相手を混乱させるだけだし、詰め込みで済むなら塾(対人で教えてもらうこと)に行っている意味はあまりない。黒板スタイルの塾はあるけど、少なくとも「わからないから(塾に)行っている」人向けでないと思う。

今日、説明していて、上記のような感覚を久しぶりに思い出した。教えることも大半はコミュニケーションの話なのだ。相手の要望を聞き出して、それに応える回答をする。そう考えると、ビジネス(商売)とだって結局は同じなのではないかと思う。

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