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迷ったときの決め手

課せられた以外の活動をしていると、周りから「大変そう」とか「面倒そう」とかいわれることがある。もちろん、自分ではその辺のハードルを承知でやっていることなので、言われること自体が別に構わないのだが、そういう人が多い組織というのはどうなのだろうと思ってしまう。

人間は楽なほうに流れてしまう生き物だ。では「楽」だから「楽しい」のか?というと、それもちょっと違うと思う。ぬるま湯に浸かっていることが本当の意味での楽しさなのか。それはいつも自問自答する。昔、自分の親から「迷ったら厳しいほうを選べ」といわれたことが今でも残っていて、何かを選択する時の基準になっている。ただ「大変」「面倒」なことは確かに嫌だけど、やることで何か得られそうなものが見える時は大変や面倒を乗り越えてでもやったほうがいいと判断する。わりと、そうやって生きてきた。

「議論になるのは面倒だから、上の人の言うことに従っておけばいいよ」という言葉を何回聞いただろう。波風立てずに生きていくにはそれでいいのかもしれないが、そこで議論をしなかったことによって損失したものはきっとあるはず。そして、それがいつしか常態化して、いつも議論を避ける。そんなふうになっていないだろうか。

自分のやり方を周りに押し付けるつもりは毛頭ない。しかし、事なかれ主義の横行では、ダメになるものがあまりにも多い。それを阻止するために、どうやって周りを変えていくべきか。小さなうねりを起こすことによって、少しずつでも変える何かができればいいと思う。

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