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神様からのギフト

俳優の塩見三省さん、どこかで見覚えのある顔だと思っていたら、そうか、「あまちゃん」の勉さん、琥珀の勉さんじゃないかと思い出した。2014年に脳出血に倒れ、そこからは今まで通りの自分には戻れないことを悟り、涙したという。

定年のない俳優という仕事は、その気になれば一生現役でいられるので、老いるという感覚が希薄になりがちです。でも私は、わが身に起きた老いをそのまま画面に出すしかない、と決めました。

こう考えるまでに、身体の自由が利かない自分自身を「社会の異物じゃん」と、覚悟を決めた背景がある。元通りの生活ができない苦しみは、健常な我々には想像することが難しく、ただ、すごい精神力だなと感嘆するほかない。

私たち団塊の世代がまとめて高齢者の仲間入りをするなか、やれ老人には生産性がないとか、老人にかかる費用のどこをどう削ろうなんて話が取り沙汰されました。

でもさ、老人は、急に老人になったわけじゃない。それぞれに若いときがあり、職場や家庭で懸命に働いた時代があり、一人一人にかけがえのない物語があったはずです。

そうなのだ。杖をついて一生懸命に歩いている人、池を囲うガードレールに掴まりながら足踏みをする人。朝に走っていると、一生懸命に体を動かそうと頑張っている高齢者の方々を見かける。そんな人たちも、昔はキビキビ動いていたんだろうと、なんとなくは思っていたが、このインタビューを読んで、強烈にそう思い返した。

誰だって、病気になりたくてなったわけじゃないし、老いることだって今は若い人でもいずれ訪れる。自分がそうなった時にどう思うのだろうと、考えてみてもなかなか想像が付かないが、病気さえも「神様からのギフト」と思えるような生き方は、なんだかカッコいい。

普段何気なく生きていると、自分とは異なる境遇にいる人のことを考えられることは少ない。それに、あまりにも人のことばかり気にしすぎていても、かえって疲れてしまうから、共感しすぎるのは良くない。しかし、そこまで感情移入しないとしても、少しはその人に思いを馳せてみて、少しだけ想像してみることくらいはできそうな気がする。様々な"違い"を煽られることはあるけれども、もう少し、周りの人々を優しいフィルターを通して眺めてみる。そんな感覚があってもよいではないかと、塩見さんのインタビューを読んでいて思うのである。

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