断片的な写真で25年前の記憶を答え合わせ

本日お送りするのは、「写真は出来るだけ機会を作り撮り、そして現像しておこう」「俺は携帯で撮る写真を全て写メと言い切るタイプの人間」という二つの写真お得情報です。

先日、実家へちょこっと帰省して参りました。

地元には、お袋の同級生がやってる喫茶店があり、子供の頃から連れて行ってもらってました。
まぁ俺が行きたいと言ったわけではなく親が行きたいから同行させられるというのが正しいですが。
その店は現在で三代目。 最初はアイリータウンというデパートにあり、その後母校(高校)の近くに移転し、現在の独立店舗を建てて現在に至ります。

その喫茶店がテナントの一つとして入っていたアイリータウンは、新潟県内のデパートであり、
スーパー、ホームセンター、フードコート、ゲームコーナー、本屋、CDショップ、ファミコンショップなどが入っていました。
今思えば小千谷店は小千谷市という糞田舎にあるにも関わらず、家族連れでも暇をつぶせる貴重な店だったんだなぁと。
そのアイリータウンは大本の株式会社藤村だか藤村アイリーだか知りませんが、コレが潰れ、全店舗閉店となりました。
倒産したのが20年以上前、自分が小学5年になる年だったと記憶してます。
なのでネットにも殆ど情報はなく、自分の記憶もかなりあいまいなものになってきました。

話を現代に戻し、この喫茶店に行った際にアイリータウンの話になりました。
テナントにそば屋や食いしん坊というラーメン屋などがあった事を知り、
いかに記憶が薄れてるか痛感しましたね。
2階の印象はとにかくゲームコーナーがあった事しかなく、言われてみれば入口付近にラーメン屋があったような記憶もありますが、
そば屋は一個も記憶になく、23年という月日を感じさせます。

この時代の写真は残ってないかと聴いてみたところ、探せばあるかもしれないとの事。
見つかったそうなので、翌日、帰る前にちょこっと寄ってみることに。

囲むようにカウンター席があり、その中にコーヒー入れるスペースや売る豆を置くスペースがある。
白いカウンター席、コルクのような立壁、壁に貼ってある数々の猫の写真…そうそう、こんな店だった。
奥に映る、ホームセンターの部分なども懐かしい風景ばかり。
こんなにちゃんとしたホームセンターだったっけか。
一目散にゲームセンターか宝島(ゲームショップ)に行ってたんで、ホームセンター部分の記憶など全くありません。
更に、その喫茶店の横にステージがあったのは覚えてましたが、そのステージの壁に、なんか点々の絵というかモニュメントというかが置かれているのも写ってました。
その奥には透明なエレベーターも。バブルデパートだったんだなぁと感じさせられます。

この写真はあくまで店で、というより個人で撮られたものなので、
店の全景や他のテナントを写した写真はありませんでした。
店員同士、店員と客、客…あくまで人を写した写真でした。
しかし、みんないい笑顔で写ってるんですよ。
若いし。

基本的に思い出を背負い生きるタイプの人間であり、
昔の事を思い出したり語ったりするのもまた好きなんです。
「昔は良かった」というより、「自分の記憶との勝負」が好きなんです。
正解はあるはずなんです。当然、実際に起きた出来事を思い出したり喋ったりするので。
しかし、記憶の風化と共に、正解がなくなって行きます。
立ち会っている友達も、また記憶の風化は訪れるので、「あれはこうじゃなかったか」「いやあれはああだった」など、
記憶が食い違ってくることも珍しくありません。
あったはずの正解がなくなっていく。

写真には必ずしも正解があるとは限らないが、ヒントは隠されている場合が多い。
今回の件で改めてそう思いました。
そして何より、顔が写ってるのもいいなと思いました。
基本的に俺が撮る写メって、「飯」「音ゲーの筐体」「音ゲーのリザルト」が殆どで、人物が写ってる事はほぼありません。
俺自身写真に写りたい派ではないので、あまり自分から写真撮ろうとと言えないたちなので、その手の写真が無いんですよね。

このコロナ禍で埼玉勢(大学時代のバイト先の友達)や、ショ勢(SHOXXXXという音ゲークラブイベント関係の友達)と会えないまま1年半くらい経過してます。
特に後者は本名も知らずTwitterでしか繋がっていない為、イベントが無いとなかなか会うのが難しいわけで。
音頭取って「オフ会やろうぜ!」って言ってもいいんですが、基本的に端っこで笑ってるだけのポジションなんで
自分で音頭取っておいて人任せにするわけにもいかないからやらないといういろいろな意味で面倒くさい性格の持ち主なのです。
今度会える日が来たら、写真撮りたいですね。
シャイボーイなので、きっと言い出せない気がしますが、心の中ではそう思ってます。
そればかりではなく、今通ってるゲーセン(プレイハウスエリナ)も同じ思いですね。

写真は一瞬を切り取るものであり、人が写るとなると大体は自然体ではなく構えた構図となり、正しい「その時」の証明ではなくなります。
けれど、その一瞬の切り取りさえ無いと、もう一生「その時」の事を思い出せなくなる日が来るかもしれません。
俺のように思い出教を崇拝する人は写真を撮っておいた方がいいな…そう思った日でした。
写真撮ろうぜすら言えないチキンなシャボン玉ハートを卒業できる日は多分来ないので、声かけて下さい(他力本願)

サポート頂けると、恵まれない大人にワクチン(リポD)を買ってあげる事が出来るので、気が向いたらよろしくお願いします。