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名もなき日々に名前がついた日

俺 「 こんな大きな木が倒れてるんだもんね 」

物壊し王 「 しかもこんな大きな木が倒れて、なんでこんな体育小屋が崩れないんだろうね。 」

俺・物壊し王 「 …。 」


何気ない日常会話なのですが、間違いなく人生を変えた会話なのです。

1998年9月24日。
当時小学5年生(11歳)。
この日、クラスの担任から「1週間日記を書いて毎日提出する」という宿題が課されました。

そこで俺が書いたのが、「その日あった出来事を、ト書き+会話で書き起こす」という内容。
最初は名前も特についておらず「休み時間にあったこと」とノートに書かれてますが、のちに「会話日記」と名付けられました。俺によって。
当時、何を考えてこの形式にしたのかはもはや34歳になった今となっては覚えていませんが、確かその前に作文で書いた感想文に、やたら会話の書き起こしを取り入れた事に手ごたえを感じていたのだと思います。

最初こそ「ト書き+会話書き起こし」で日記という体裁を保っていましたが、すぐに「ト書きは1行で他全編会話のみ」と乱暴な日記に変わっていきました。
その日の出来事を残すというよりか、その日あった面白い会話を残す目的が強くなり、このような変貌を遂げて行ったのです。
そもそも、小学生にト書きで面白い事書く事自体無理があるので、(当時)面白かった会話を思い出して書くだけの方が効率いいんですね。極力創作に走らせなかったわけです。
書いてた当時はそんな事思いもしませんでしたが、今振り返ると理にかなっていると思います。

そしてその初日を飾った会話が、上述の会話だったのです。

第1回目を再現すると、こんな感じです。
読みやすいように漢字表記は直してありますが、文体はそのままです。

9月24日 20分休みの事 グラウンドにて Vol.1
20分休みに物壊し王(仮名)と2人でグラウンドに行って、9月22日にあった台風の被害を見に行きました。 木が4本くらい倒れていてすごかったです。高校の方には小屋が崩れていました。 物壊し王と2人で話していると、こんな言葉が飛び出してきました。

俺 「 こんな大きな木が倒れてるんだもんね 」

物壊し王 「 しかもこんな大きな木が倒れてなんでこんな体育小屋が崩れないんだろうね。 」

俺・物壊し王 「 …。 」

これが今日の20分休みの一部分です。 Vol.1 完

今振り返ると、「こんな言葉が出てきました」とか「これが○○の一部分です」とかパターン化しようとしてた形跡が伺えますね。 絶対そこまで深く考えてない。
しかも「間」の笑いを1回目に持ってくる辺り、やるなって思います。 最初に全力疾走すると絶対失速するので敢えてすかした、虚しさの持つ笑い、体育小屋を『こんな』で片付ける表現法の笑い持ってくる、これは続ける気満々です。 絶対そこまで深く考えてない。

そんな大発明な日記なのですが、最大の欠点は「会話を思い出さないとその場面での内容を書けない」という事。 その為、修学旅行編では行った場所それぞれで思い出さないと、その場所へ行った事自体書けないわけです。酷いと「着いたねー」「着きましたなぁ」くらいの、その日本語に謝れレベルの雑な会話が載っている場合もあります。

宿題としての提出期間は1週間でしたが、その後も提出したい人は続けていいとの事。結局6年生になっても担任が一緒だった事もあり、提出は小学校卒業まで続きました。 
更には提出も無く、ただただ自分用として書き続け、最終的に2004年10月7日、高校2年生、17歳まで6年間、全1292回続けることとなりました。 宿題時代の名残で、この日記が書かれるのは登校日のみ。すなわち土日祝・長期休み時は書かないのです。6年間、サボる事無く書いてたのですがトータル回数が期間に対して少ないのはそのため。
最後の方はモチベーションも無くなり、手書きに限界を迎えていた上、中越地震で継続困難になり自然消滅という悲しい最後を遂げました。 会話を思い出す事自体にものすごく時間がかかる上、手書きなので1話を書き上げるのに莫大な時間を費やすのです。部活もやっており、流石に限界を迎えました。

その後も個人HP、ブログと形を変えて、この会話形式を取り入れた日記は残り続けています。というかそれしか書けないんですが。

現在続いているブログが記録更新するまでは、一番続いていた日記でもあります。
「会話日記」…1998年9月24日~2004年10月7日、全1292回
「平凡新聞」…2000年7月~2004年8月13日、全1282回 ※個人HP日記
「粗茶室」…2004年4月26日~2007年12月、全660回 ※個人HP日記
「REGULAR BONUS」…2008年4月13日~継続中、2029回 ※ブログ

ご注目頂きたいのが、2004年4月26日~8月13日の間。 どれかの日記を休止しているわけでは無く並行して書いてるので、1日に最大3つ日記を書いてる事になります。流石学生時代。

中でも会話日記は、小学5年生~高校2年生の6年間という、一番多感な頃に書かれており、内容も時期によって様々です。
小学校時代は会話と呼べないような、休み時間に鬼ごっこやドッジボールをしている時の絶叫だったのが、
中学生時代になると恋愛の話(ただし漏れなく全員片思いの話)や下ネタに傾倒し、
高校時代になると部活の愚痴、小競り合いに内輪もめ、進路等、
その時々で面白いと思ったものしか書いてないつもりなんですが、なかなか記録に残らないような、教室端っこ族の冴えない学生の日々の会話が記録されてます。

パラパラ見ていたら、ものすごく時代を反映した回があったので一部抜粋します。

Vol .41 1998年11月16日 下校時 通学路にて
今日の下校時に一旧君といろんな話をしました。

一旧 「 でも本当アレ、消費税なくなって欲しいっや! 1%でもいいから下げて欲しいっや! 」

俺 「 消費税4%ってなんか半端じゃない? 」

一旧 「 まーね。 」

- そして

一旧 「 でも多分絶対上がると思うよ! 消費税。 」

俺 「 消費税10%とか? 」

一旧 「 そしてジュースも高くなり…。 」

俺 「 そういえばうちらが前行ったスキー場の自販機さー、アレは元から150円くらいだったよ。 」

一旧 「 そういえば、あの自販機さー、全部アクエリアスだったよ! 」

俺 「 うそ!! どこのやつ!? 」

…終わり!?
小学生、自由過ぎる。 最後の方の会話の繋がって無さ。
それでも、まだこれなんかは会話として成立してる方です。絶叫だけの回とかありますし。 ト書きの乱暴さは既に出てますね。色々な話とか雑にもほどがある。
いや続きもあるんですが会話はここで終わっており、次の会話はもうどっか行きたいみたいな話になってるので再掲はここまで。

消費税が5%に上がった時代の会話ですね。
まさか本当に消費税10%時代が来るとは、この時のれすと少年は考えてもいないでしょう。 そして23年後にこの会話を使い回されるなども考えていないでしょう。


この日記を始めた事で、今のブログを書いていたり、こうして何かしら書くことに抵抗なく書けたり、某同人サークルから声をかけてもらい何かしら書いたり、仕事には繋がってませんが間違いなく人生が変わりました。

続ける事の楽しさを知ったのも、この日記でした。
お分かりの通り、日記には回数カウントが初めから書かれており、多分数字が増えていく楽しさを既に知っていたのだと思います。
継続が力になるかどうか知りませんが、間違いなく財産にはなります。
今から6年間日記を書くのと、あの時代に6年間日記を書くのでは、まるで意味が違いますからね。
更に34歳にして23年間日記を(とぎれとぎれではあるが)続けているという事だけは後追いが出来ないですからね。 多分今日書き始めて明日には俺の文章力に追いつける人も山ほどいると思いますが、回数や掲載期間だけは絶対に抜けないですから。 それだけは誇れます。

絵も書けない、曲も作れない、何も生み出せない自分が唯一生み出せる雑記。 こんな何もない俺に僅かな光を与えてくれました。あの時宿題を与えてくれた先生に感謝しか無いです。
仕事には繋がってませんが(おおきなこえで)。


#あの会話をきっかけに

サポート頂けると、恵まれない大人にワクチン(リポD)を買ってあげる事が出来るので、気が向いたらよろしくお願いします。