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責任ある『ほったからし』

『ほったからし』って多分方言ですよね。『放置』が一番近い意味になるのかな?と思いつつも、どこか違う気がしています。

『魚を与えるのではなく、釣り方を教えよ』は、不十分な気がしています。
この言葉は、『魚を与えれば、一日の糧にはなるが、釣り方を教えれば、一生の糧になる。』と言う意味で、非常に素晴らしいのですが、肝心なことに『魚がどこにいるか』についてはノータッチなんです。

約10年で色々な子どもや大人に会ってきました。10年前の僕は、とにかく魚を与えることに必死でした。それから2年くらいして、釣り方を教えることの方がよっぽど重要だと気付きました。このことを意識している人は多いと思いますが、残念なことに魚の居場所についてのヒントにはまったく触れない。『見て盗みなさい』、『自分で考えなさい』は、まさにこれです。

僕らは、人生を通して、魚のいる場所に見当がついています。「釣りに行こうよ!」と言われて、「よし、新宿のビル街に行こう!」と返事する人は、いません。ほとんどの人が海や川や池、釣り堀と答えるはずです。今から新しい何かを始める人にそんな見当がつく人は少数いるかもしれませんが、見当がつかないのが当たり前です。「釣りに行こうよ!」の感覚を持って人に話してはいけないんです。

アナロジー思考

僕らは、今まで知らなかったものでも、既に知っているものの中で何が似ているのか、無意識に考える習慣がある程度ついています。天丼を食べたことのない人でも、牛丼を食べたことがあったら、「これは牛肉の代わりに天ぷらが乗っていて、タレは天ぷらに合うように天つゆになっている!」と、すぐにピンと来るはずです。そうしたものをどれだけ提供できるかが何かを教える人には非常に重要です。

コミュニケーションは、受け手で完結する

以前、「何度言っても理解できない人にどう説明すればいい?」と質問されたことがあります。僕は迷わずに「どこまで理解できているか、それを理解すること。」と答えました。日本語が理解できないアメリカ人に対して、日本語で話す人は、いません。だって、日本語で話しても伝わらないから。それが日本人同士となると、「なんで理解できないの!」と、なってしまう人がいます。日本語が理解できないアメリカ人に対しては、「日本語では通じないだろうから、自分の知っている英語でなるべく伝えられるように努力しよう。」と考え、話し出してからも「どこまで伝わっているかな?」と考えるはずです。日本人同士でも、同じことをするだけなんです。

魚の釣り方を教えることは、とても難しいです。しかし、それと同じくらいに魚の居場所を考える能力を与えることも難しいです。魚の釣り方を知ったところで、上手に釣れるかどうかもわかりません。しかし、そこからは本人の戦いです。「こうした方がいいよ。」と言っても、「わかってるけど、できない!」としか返事は返ってきません。じゃあ、そこから僕が何をやるかといえば、『ほったらかし』です。責任ある『ほったからし』を大事にしていきたいと改めて思ったこの頃でした。

髪を染めた前田敦子さんも素敵すぎる。毎日惚れなおしています。

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#前田敦子  #夢 #教育 #指導  #コーチング

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